2015
10
株式会社サンレー

 代表取締役社長

  佐久間庸和

「夜空の月は動かず

 志を曲げずに生きよう」

●稲盛和夫氏との出会い

 最近、わたしの大きな夢が叶いました。日頃より私淑する稲盛財団の稲盛和夫理事長にお会いしたのです。
 わたしは「京都大学こころの未来研究センター」連携研究員を務めているのですが、先日、同センター主催の「京都こころ会議」シンポジウムに参加しました。
 冒頭、稲盛理事長が祝辞を述べられることになっていました。そして、来場された稲盛理事長を同センターの教授である鎌田東二先生が、シンポジウムの開始前に紹介して下さったのです。鎌田先生とは義兄弟の契りを交わした仲で、最近も共著の『満月交遊 ムーンサルトレター』上下巻(水曜社)が刊行されたばかりです。
 鎌田先生とわたしは、満月の夜にWEB上の文通である「ムーンサルトレター」を交わしていますが、このたび10周年を迎え、『満月交遊』出版の運びとなったのです。

●稲盛氏と名刺交換する

 わたしは、つねづね稲盛理事長を尊敬申し上げています。しかし、じつは実際にお会いするのはこれが初めてです。稲盛理事長とわたしは2012年に第2回「孔子文化賞」を同時受賞させていただいております。でも、授賞式には弟の稲盛豊氏(稲盛財団専務理事)が代理で出席され、ご本人とお会いすることは叶いませんでした。
 それを義兄弟である鎌田先生が名刺交換の機会を与えて下さったのです。稲盛理事長はわたしのことをご存知で、まことに感激いたしました。稲盛理事長からも丁重にお名刺を頂戴しました。この名刺はわたしの宝物です。日本経済界最高のリーダーであるにもかかわらず、稲盛理事長は腰の低い素晴らしい人格者でした。わたしは、胸いっぱいで「心より尊敬申し上げております。御著書はすべて拝読させていただきました。今日は御挨拶させていただき、まことに光栄でございます」と言うと、稲盛理事長はニッコリと微笑んで下さいました。

●「私淑」とは何か

 わたしは憧れの方にお会いできて、本当に感激しました。孟子が会うことのなかった孔子に私淑(この言葉の出典は『孟子』です)したように、平田篤胤が会うことのなかった本居宣長に夢の中で弟子入りしたように、わたしも稲盛理事長とお会いする機会がないのかと諦めていました。
 その諦めかけていた夢を叶えて下さったのは鎌田東二先生でした。まさに、鎌田先生こそは最高の「現代の縁の行者」でした。
 わたしは私淑する渋沢栄一翁や松下幸之助翁や出光佐三翁にはお会いすることはできませんでしたが、稲盛和夫翁にはお会いできました。まさに本居宣長が賀茂真淵と運命の邂逅を果たした「松坂の一夜」ならぬ「京都の朝」でした。まことに感無量でありました。

●「サンデー毎日」連載が決定

 考えてみれば、ここ最近、わたしの夢が立て続けに実現してきています。稲盛理事長とともに最も尊敬申し上げていた渡部昇一先生にお会いし、「世界一」とされる先生の書斎や書庫を拝見させていただいたばかりか、渡部先生と対談本まで出させていただきました。
 孔子文化賞を受賞すること、大学の客員教授になることなどの夢も叶いました。また、「毎日新聞」に本名でコラムを連載すること、日経電子版にコラムを連載することなどもささやかな夢でしたが、これも叶いました。週刊誌に連載するという夢もありましたが、このたび日本最初の総合週刊誌である「サンデー毎日」での連載が決定しました。先日、編集長さんが社長さんの親書を持ってこの松柏園ホテルに来られ、正式に連載を依頼されたのです。
 「サンデー毎日」には、わたしが若い頃から愛読していた五木寛之、なかにし礼、椎名誠、田中康夫、泉麻人といった方々が連載しておられます。そんなビッグネームの方々のお仲間に入れていただけるなんて、本当に夢のようです。

●夢から志へ

 "If you can drea it,you can do it." 
 この言葉は、かのウォルト・ディズニーによるもので、わたしの座右の銘の一つです。人間が夢見ることで、不可能なことなど一つもないのです。逆に言うなら、本当に実現できないことは、人間は初めから夢を見られないようになっているのです。
 そして、わたしにとっての「夢」は「志」というものに通じています。わたしには経営者としての志があります。冠婚葬祭業を営む者として、日本人の離婚件数と自殺者数、そして孤独死の数を減らしたいと思っています。そのために「隣人祭り」やグリーフケア・サポートなど、具体的なプロジェクトも推進してきました。さらには、人が亡くなっても「不幸があった」などと言わない社会にすべく、夜空に浮かぶ月をあの世に見立てて、死を詩に変えるという志を立てています。
 月といえば、中国には「風吹月不動」という言葉があります。台風などが来ると、強風に吹き飛ばされた雲が次々に空を走り去っていきます。一方、それはまるで月が猛烈な勢いで空を飛んでいるようにも見えます。しかし実際には、いかに強風が吹き荒れようとも、月は動じないで、天体としての運行を淡々と行っているという意味です。わたしの座右の銘です。
 わたしの志、心のベクトルはまさに月に向かっています。どんなに強風に吹かれても動じない月のように、いかなる試練が訪れようとも決して志を曲げません。
 そう、「風吹月不動」の精神で、わが志を果たしたいと思います。


  風吹けど月は動かず
      われもまた志をば曲げずに行かん  庸軒