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一条真也
「葬儀は人を永遠の存在にする」

 

 みなさんは、「0葬」という言葉を知っているだろうか。通夜も告別式も行わずに、遺体を火葬場に直行させ焼却する「直葬」をさらに進め、遺体を焼いた後、遺灰を持ち帰らず捨てるのが「0葬」である。
 わたしは葬儀という営みは人類にとって必要なものであると信じている。故人の魂を送ることはもちろんだが、葬儀は残された人々の魂にも生きるエネルギーを与えてくれる。
 葬儀という「かたち」は人間の「こころ」を守り、人類の滅亡を防ぐ知恵なのである。葬式は社会にとって必要なものであり、日本人の「こころ」に必要なものなのだ。
 葬儀によって、有限の存在である「人」は、無限の存在である「仏」となり、永遠の命を得る。これが「成仏」の意味であり、葬儀とは「不死」のセレモニーなのだ。
 わたしは宗教学者の島田裕巳氏が書いた『0葬――あっさり死ぬ』(集英社)に対して、『永遠葬――想いは続く』(現代書林)を書いた。
 「永遠」こそが葬儀の最大のコンセプトであり、「0葬」に対抗する意味で「永遠葬」と名づけたのである。
 かつて、島田氏のベストセラー『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)に対抗して、わたしは『葬式は必要!』(双葉新書)を書いた。今回は、戦いの第2ラウンドということになる。
 今年は終戦から70年を迎えたが、日本人が「死者を忘れてはいけない」「死者を軽んじてはいけない」ということを思い知る年としたいものだ。
 昭和20年、敗戦の直前に「日本民俗学の父」と呼ばれる柳田國男は名著『先祖の話』を著した。同書で柳田が危惧したことは、敗戦によって、日本人の「こころ」が分断されてズタズタになることであった。
 それから70年を経て、日本人の自殺、孤独死、無縁死が激増し、葬儀もしない「直葬」も増えている。
 わたしたちは、どうすれば現代日本の「葬儀」をもっと良くできるかを議論することが大切ではないか。ぜひ、『永遠葬』をご一読あれ!