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一条真也
「戦後70年を飾る映画『母と暮せば』」

 

 あけましておめでとうございます。一条真也です。

 昨年末にハートフルな日本映画を観ました。松竹120周年記念作品で名匠・山田洋次監督がメガホンを取った『母と暮せば』です。この映画、戦後70年という「死者を想(おも)う」一年の締めくくりにふさわしい名作でした。観る前から「絶対に泣く」とわかっていたわたしは、タオルハンカチを持参しましたが、映画館を出る頃にはビショビショになっていました。


■これまでと違う"優霊"ストーリー


 原爆で壊滅的な被害を受けた長崎を舞台に、亡くなった息子が幽霊となって舞い戻る姿を描いた人間ドラマです。母親を日本を代表する名女優の吉永小百合が演じ、息子を嵐の二宮和也が好演しています。

 1948年8月9日、長崎で助産師をしている伸子(吉永小百合)の前に、3年前に原爆で失ったはずの息子の浩二(二宮和也)が突然姿を見せました。母は呆然(ぼうぜん)としながらも、すでに死んでいる息子との再会を喜びます。

 『母と暮せば』は、いわゆる幽霊映画です。しかし、その「幽霊」とは恐怖の対象ではありません。あくまでも、それは愛慕の対象としての幽霊です。生者にとって優しく、愛しく、なつかしい幽霊、いわば「優霊」です。欧米の怪奇小説には「ジェントル・ゴースト」というコンセプトがありますが、これに怪談研究家の東雅夫氏が「優霊」という訳語を考えたのです。東氏によれば、ジェントル・ゴーストとは生者に祟(たた)ったり、むやみに脅かしたりする怨霊の類とは異なり、絶ちがたい未練や執着のあまり現世に留まっている心優しい幽霊といった意味合いの言葉だそうです。

 これまで多くのジェントル・ゴースト・ストーリーが映画化されてきました。ハリウッドでは『オールウェイズ』『ゴースト~ニューヨークの幻』『奇跡の輝き』『ラブリー・ボーン』などが有名です。日本でも、『異人たちとの夏』『ふたり』『あした』といった一連の大林宣彦作品、『鉄道員(ぽっぽや)』『黄泉(よみ)がえり』『いま、会いにゆきます』『ツナグ』、さらには『ステキな金縛り』『トワイライト ささらさや』『想いのこし』『岸辺の旅』などがあります。

 そこには「幽霊でもいいから、今は亡き愛する人に会いたい」という生者の切実な想いがあります。わたしは、映画とはもともと「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するグリーフケア・メディアであると考えています。

 「母と暮せば」も亡き息子の幽霊が母のもとに出現するという典型的なジェントル・ゴースト・ストーリーなのですが、エンディングはこれまでの作品とは明らかに違っていました。ネタバレになるので、内容は秘密です。どうぞ、映画をごらんください。


■犠牲者のまなざしを感じて生きる義務


 さて、この映画は「長崎原爆」をテーマとした作品です。冒頭、天国を連想させるカラーの雲海のシーンから一転してモノクロの1945年8月9日の長崎上空のシーンに変わります。そして、「第一目標地である小倉が視界不良であったため、第二目標地の長崎に標的を変更した」というテロップが大きくスクリーンに映し出され、わたしの胸は締めつけられました。

 長崎原爆によって7万4000人もの尊い生命が奪われ、7万5000人にも及ぶ人々が傷つきました。現在でも苦しんでおられる方々がいます。当時、わたしの母は小倉の中心にいました。原爆が投下されていたなら母の命は確実になく、当然ながら、わたしはこの世に生を受けていませんでした。長崎の方々に心からの祈りを捧(ささ)げずにはいられません。

 それにしても都市レベルの大虐殺に遭う運命を実行日当日に免れたなどという話は古今東西聞いたことがありません。普通なら、少々モヤがかかっていようが命令通りに投下するはずです。当日になっての目標変更は大きな謎ですが、いずれにせよ小倉がアウシュビッツと並ぶ人類愚行のシンボルにならずに済んだのは奇跡といえるでしょう。

 小倉の人々は、原爆で亡くなられた長崎の方々を絶対に忘れてはなりません。いつも長崎の犠牲者の「死者のまなざし」を感じて生きる義務があります。

 もちろん、先の戦争で尊い命を失(な)くされたのは長崎原爆の犠牲者だけではありません。広島原爆をはじめ、各地の戦場で多くの日本人が亡くなりました。『母と暮らせば』では、福原家の長男、すなわち浩二の兄が母である伸子の夢枕に立つシーンが登場します。その長男はビルマ戦線で戦死したのでした。

 わたしたちがこの平和を味わうことができるのも、多くの死者に支えられてのことです。わたしは、70年前の戦争で亡くなられた方々のことを絶対に忘れず、この命を与えられたことに感謝し続けていきたいと思います。

 「母と暮せば」のラストは長崎の黒崎教会での葬儀のシーンでした。非常に感動的で、わたしは「死は不幸な出来事ではない」、そして「死者を忘れてはならない」というわが信条を再確認することができました。戦後70年となる大きな節目の年の師走にこの映画を観ることができ、本当に良かったです。