2017
01
株式会社サンレー

 代表取締役社長

  佐久間庸和

「美しく人生を修め

 有終の美を飾るお手伝いを!」

●「終活」から「修活」へ

 「終末活動」としての終活がブームです。しかし、わたしは「終末」の代わりに「修生」、「終活」の代わりに「修活」という言葉を提案しています。「修生」とは文字通り、「人生を修める」という意味で、その活動が「修活」というわけです。昨年連載を修了した日経電子版の「人生の修め方」という連載は大好評で、「修活」も流行語となりました。
 そして、このたび、『人生の修活ノート』(現代書林)が刊行されました。2009年に『思い出ノート』(現代書林)という、自分史ノートの要素をミックスしたエンディング・ノートを刊行し、大きな反響を呼んだことは記憶に新しいところです。今回新たに誕生した『人生の修活ノート』はそのアップデート版であり、究極のエンディング・ノートです。
 人類史上例を見ない超高齢社会を迎えた日本では、エンディング・ノートの必要性が増す一方です。自分がどのような最期を迎えたいか、そのような旅立ちをしたいか・・・・・・そんな旅立つ当人の想いを綴るのが、エンディング・ノートです。

●SMAPの引退

 昨年の日本の芸能界は、数々の不倫騒動とSMAPの引退問題に明け暮れた感がありました。わたしは、ともに「愛のない時代」を象徴している話題であると感じました。
 国民的アイドルグループとして高い人気を誇っていたSMAPは昨年の大晦日に引退しましたが、期待されていたNHK紅白歌合戦出場も辞退しました。
 NHKは粘り強く交渉を続け、ファンの間ではサプライズ出演を期待する声も上がっていました。12月26日のフジテレビ系「SMAP×SMAP」最終回にも生出演しませんでした。ファンへの挨拶も、別れの言葉も何もありませんでした。
 「解散撤回」を願う署名を40万人分近くも集めたファンに対して彼らは何も言わずに去って行ったのです。
 残念ながら、SMAPの解散は、ジャニーズ史上、いや日本の芸能界史上で「最悪の解散劇」となりました。ここまでメンバー間の人間関係のドロドロが露わになるのも珍しいと言えるでしょう。

●史上最悪の解散劇

 長年支え続けてくれたファンがいるのに、「最後まで大人の態度ができなかった」ことは残念ですが、未だに大人になり切れていないメンバーがいるのでしょう。
 SMAPはフジテレビはともかく、NHKの顔を完全に潰しました。来年、木村拓哉を除く4人はジャニーズ事務所から独立して新事務所を立ち上げるようですが、今後の芸能活動において、今回の一件は大きなマイナスです。NHKは、天下の国営放送です。NHKを敵に回して、今後どのように芸能界で生きていくつもりなのでしょうか?理解に苦しみます。正常な判断ができないということは「幼稚」なのか「病気」なのかのどちらかでしょう。
 しかし、彼らの最大の誤算はNHKよりも大切な相手を傷つけたことです。その相手とは、もちろんファンにほかなりません。最後に五人揃って歌うことはおろか、解散のコメントも何もなく、別れも告げずに去っていくSMAPに失望したファンの数は少なくないはず。このツケは、必ず今年以降に払わされるでしょう。

●有終の美を飾らなかったSMAP

 SMAPは「スマスマ」最終回および「紅白」で、5人揃って出演し、最後にファンに別れを告げ、「有終の美」を飾るべきでした。
 芸能人は去っていく際に、必ずファンに別れを告げ、「ありがとう」と感謝の言葉を述べなければなりません。山口百恵だって、キャンディーズだって、BOOWYだって、みんなそうしてきました。本当に引退した山口百恵は別にして、キャンディーズの3人だって、BOOWYの氷室や布袋だって、きちんと有終の美を飾ったからこそ、解散後もファンが応援してくれたのです。しかし、SMAPは有終の美を飾れませんでした。
 有終の美を飾らないと、次のステージには絶対に進めません。じつは、「有終の美を飾らない」ことは「葬式は、要らない」に通じています。「有終の美を飾らない」や「葬式は、要らない」はともに「愛のない時代」を象徴するキーワードでしょう。
 解散撤回を願う署名を大量に集めたファンはSMAPに限りない「愛」を示しました。でも、彼らにファンへの「愛」はありませんでした。SMAPは現代日本の「心の闇」を読み解く鍵かもしれません。

●有終の美を飾るお手伝いを

 最初に「修活」の話をしましたが、考えてみれば、「就活」も「婚活」も広い意味での「修活」です。学生時代の自分を修めることが就活であり、独身時代の自分を修めることが婚活なのです。そして、人生の集大成としての「修生活動」があります。
 かつての日本には死生観というものがしっかり存在していたと思います。「直葬」や「0葬」など最近の一連の薄葬化に見られるように、死者を軽んじることもありませんでした。自らの死に様、遺された家族の人生についても、きちんと考えていました。
 どうも、今の日本人は「修業」「修養」「修身」「修学」という言葉で象徴される「修める」という覚悟を忘れてしまったのです。
 老いない人間、死なない人間はいません。死とは、人生を卒業することであり、葬儀とは「人生の卒業式」にほかなりません。老い支度、死に支度をして自らの人生を修めるという覚悟が人生を美しくするのです。
 わたしたちは、互助会の会員様やお客様が有終の美を飾り、人生を修められるお手伝いをしようではありませんか!

 有終の美を飾らんと生くるなら
      怖れなどなく生は修むる  庸軒