第5回
一条真也
「介楽を求めて」

 

 私のホームページに読者からのお便りが届いていました。北九州市の若松に住む40代の主婦の方からです。その方には、77歳になる義母がいらっしゃるそうです。引きこもりで半うつ状態だそうで、通いで介護をされているとのこと。その大変なご苦労がメールからも想像できます。
 その方は、ホームページを隅から隅まで全部読んでいただいたそうですが、その中で「四楽」というキーワードが心に残ったとか。私の造語であり、仏教の「四苦」を転じた考え方です。
 仏教では、生まれること、老いること、病むこと、そして死ぬこと、すなわち「生老病死」を「四苦」とみなしています。もともと人生を苦とみなすことはインド思想一般に通じることで、すでにバラモン教の聖典『ウパニシャッド』の中にもあります。しかし、これを強く推し進めたのはゴータマ・シッダールタ、すなわちブッダでした。ブッダは一切の立場、あるいは独断を捨て、ありのままの対象そのものに目を向け、現実世界の真の姿を解明することから出発しました。それを「如実知見(にょじつちけん)」といいますが、そうして直面したものが、人生の苦ということだったのです。
 しかし、ものは考えよう。私は思いきって発想の転換をし、苦を楽に置き換えて「四苦」を「四楽」に転換することを提唱しています。はじめから苦だと考えるから苦なので、楽だと思いこんでしまえば、老病死のイメージはまったく変わってしまいます。実際、ブッダが苦悩ととらえた「生」すなわち誕生にしても「四苦」から卒業してしまったようなものではありませんか。老楽、病楽、死楽というコンセプトを考えたときに、私たちは人間の一生が光り輝く幸福な時間であることに気づきます。
 この「四楽」という考え方に共鳴してくださったその読者は、「介楽というものもありませんか?」と書いてこられました。
 介楽!なんと素晴らしい言葉でしょうか。いろいろと悩みながら日々の介護を実際にされている方だからこその重みのある、また説得力のある言葉です。たしかに、他人を介護することが自らの魂の快楽となる・・・これはもう神仏の代理人とさえ呼べます。こんなに崇高なことはありません。そして、介楽を実現するのは、介護される方の心のあり方以外にはないのです。
 最終回に、「介楽」という魔法の言葉を皆様にプレゼントしたいと思います。ぜひ介護という営みにご自分なりの楽しみを見つけられてください。
 それでは、また会う日まで!