2007
株式会社サンレー

代表取締役社長

佐久間 庸和

Voice 2007年11月号
企業家の一冊『論語』

 

 40歳になる直前のこと。不惑の年を迎えるにあたり、何をすべきかといろいろ考えたが、「不惑」なる言葉が『論語』に由来することから、『論語』を精読することにした。冠婚葬祭を業とする会社の社長になったばかりでもあり、根本思想としての「礼」を学び直したいという考えもあった。
 学生時代以来久しぶりに接する『論語』だったが、一読して目から鱗が落ちる思いがした。当時の自分が抱えていた、さまざまな問題の答えがすべて書いてあるように思えた。伊藤仁斎は「宇宙第一の書」と呼び、安岡正篤は「最も古くして且つ新しい本」と呼んだが、本当に『論語』一冊あれば、他の書物は不要とさえ思った。
 そこで40になる誕生日までに『論語』を40回読むことに決めた。それだけ読めば内容は完全に頭に入るので、以後は誕生日が来るごとに再読する。つまり、私が70歳まで生きるなら70回、80歳まで生きるなら80回、『論語』を読んだことになる。何かの事情で私が無人島などに行かなくてはならないときには迷わず『論語』を持っていくし、突然何者かに拉致された場合にも備えて、つねにバッグには『論語』の文庫本を入れておく。こうすれば、もう何も怖くない。何も惑わない。何のことはない、私は「不惑」の出典である『論語』を座右の書とすることで、「不惑」を実際に手に入れたのだ。
 「世界の四大聖人」の一人である孔子は紀元前551年に生まれた。ブッダとほぼ同時期で、ソクラテスより八十数年早い。孔子とその門人の言行録が『論語』である。『聖書』と並び、世界で最も有名な古典である。
 西洋の人々は何か困った問題に直面すると、『新約聖書』を開いて、イエスの言葉に従って方針を立てることがしばしばある。同様に、日本の政治家や経営者などリーダーの多くは、『論語』に出てくる文句を思い浮かべ、それによって行動や態度を決めてきたのである。
 『論語』は、千数百年にわたって私たちの先祖に読みつがれてきた。意識するしないにかかわらず、これほど日本人の心に大きな影響を与えてきた書物は存在しない。特に江戸時代になって徳川幕府が儒学を奨励するようになると、必読文献として教養の中心となり、武士階級のみならず、庶民の間にも普及した。
 『論語』には「君子」という言葉が多く登場する。君子は小人に対して用いられ、初めは地位のある人を意味したが、後には有徳の人を指すようになってきた。孔子ももちろんその用法に従っているが、重要なことは君子はいわゆる聖人とは異なるということである。現実の社会に多く存在しうる立派な人格者であり、生まれつきのものではない。憲問篇に「君子は上達す」とあるように、努力すれば達しうる境地、それが君子なのだ。そこで『論語』において君子という場合には、願望の意が込められていることが多い。
 君子に関する記述をつなぎあわせていくと、『論語』とは古代中国のマネジメント書でもあったことがわかる。20世紀のマネジメントの巨人であるピーター・ドラッカーが提唱した時間活用のタイム・マネジメントや、「知」を重視したナレッジ・マネジメントなどの原型を『論語』に見ることができる。逆に言えば、世界初の経営書とされる『経営者の条件』をはじめとして一連の著書でドラッカーが説き続けた「人間尊重」の経営者像とは、限りなく君子のイメージに重なってくるのである。孔子は古代のドラッカーであり、ドラッカーは現代の孔子であると言えるかもしれない。理想の政治を説いた孔子、理想の経営を説いたドラッカー・・・ともに、社会における人間の幸福を追求したのである。
 儒教とか君子とかいうと、堅苦しくストイックな印象があるかもしれないが、孔子は大いに人生を楽しんだ人だったと思う。『論語』には「楽しからずや」とか「悦(よろこ)ばしからずや」といったポジティブな言葉が多く発見できる。仏典や聖書には人間の苦しみや悲しみは出てきても、楽しみや喜びなど見当たらない。『論語』にポジティブな言葉が多いのは大いに評価すべき点だろう。
 音楽を愛し、酒を飲み、グルメでファッショナブルだった孔子。そのうえ、2500年後の人間の心をつかんで離さないほど「人の道」を説き続けた孔子。『論語』に出てくる孔子は完全無欠な聖人としてではなく、血の通った生身の人間として描かれているのだ。 孔子が人類史上最大の「人間通」とされた秘密もそこにあった。何よりも、孔子は人間らしい人間だったのだ。これからも、『論語』を何度も読み直して、少しでも「人間通」になりたいと願っている。誕生日が訪れるたびに『論語』を読めば、老いるほど豊かになれる気がする。