第4回
一条真也
「和とは何か」

 

 前回、孔子が「何をするのも、まずは元気であることが大事」と考えていたことを紹介しました。とはいっても、自分の健康にばかり気をつかっていればよいというものではありません。周囲の人を大事にするという心も忘れないようにする必要があります。
 自分と周囲の人々が健康であり、お互いに尊重し合える関係は素晴らしい。そういう環境が整ってこそ学問も人生もうまくいくというものです。『論語』には次の言葉があります。
 「有子が日わく、礼の用は和を貴しと為す。
 先王の道も斯れを美と為す。
 小大これに由るも行なわれざる所あり。
 和を知りて和すれども、礼を以ってこれを節せざれば、亦た行なわれず。」〈学而篇〉
 「みんなが調和しているのがいちばん良いことだ。過去の偉い王様も、それを心がけて国を治めていた。しかし、ただ仲が良いだけでは、うまくいくとはかぎらない。ときには、たがいの関係にきちんとけじめをつける必要もある。そのうえでの調和だ」という意味ですね。
 これは、聖徳太子の有名な「和を以て貴しとなす」のルーツにもなった言葉です。
 日本を「大和」と呼ぶように、「和」は日本人にとって最も大切なものとされます。「和」とは、他者との調和のことです。『論語』には、次の言葉にも「和」が登場します。
 「君子は和して同ぜず、
 小人は同じて和せず。」〈子路篇〉
 「立派な人は、人と調和しようとするが、けっして人に流されたりはしない。一方、ダメな人は、人に流されやすいうえに、調和しようとはしない」という意味ですね。
 友人のいない人生は淋しいですが、だからといって、ただ多ければいいというものではありません。昨今の「いじめ」事件を見ても、いじめに加担する仲間などいないほうがいい。「そんな友達、いなくたっていいじゃないか」と、悪い仲間と縁を切る勇気も必要なのです。
 「悪党」という言葉があるくらい、犯罪をおかす者はよく徒党を組みます。しかし、ただ群れているだけでは、それは友人とは言えません。 儒教において、人間的な徳を積んだ「個」の確立と「礼」の実践が求められます。
 つまり、「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」は、相手に同調して「個」を曲げ、「礼」を忘れては、「和」の実現はおぼつかないという意味なのです。