第6回
一条真也
「友人について考える」

 

 今回は、友人関係について考えてみたいと思います。豊かな人生を送るために、友人の存在はとても大切なものですね。どんなにお金があっても、どんなに長生きをしても友人のいない人生はさみしいものです。まさに、友人は人生の宝物のような存在と言えるでしょう。
 孔子は友人関係というものをどのように考えていたのでしょうか。まず、良い友人と悪い友人の見分け方を次のように述べています。
 「益者三友、損者三友。直きを友とし、諒を友とし、 多聞を友とするは、益なり。便辟を友とし、善柔を友とし、 便佞を友とするは、損なり。」〈季氏篇〉
 「自分にとってプラスになる友人が3種類いる。自分にとってマイナスになる友人も3種類いる。 正直な人、誠実な人、知識の深い人、こういう人を友人にするのはプラスだ。外見ばかりを気にする者、表面的にへつらってくる者、口だけ達者な者、こういう人たちを友人にするのはマイナスでしかない」という意味ですね。
 外見を気にしてばかりいたり、卑屈だったり、口先だけの人間とは友人にならないほうがいいというのは、誰にでもわかるでしょう。そういう人間とつき合うことは、「百害あって一利なし」です。
 それでは、孔子が考える本当の友人とはどのような存在なのか。次のように述べています。
 「朋友死して帰する所なし。曰わく、我れに於いて殯せよ。朋友の饋りものは、車馬といえども、祭りの肉に非ざれば、拝せず。」〈郷党篇〉
 「友人が死んで身寄りがいなかったら、わが家で葬儀をあげよう。また、友人からの贈り物は、どんなに高価なものであっても、物欲に負けて受け取ってはいけない。もらっていいのは、お祭りのお供えのおすそ分けだけだ」
 古代中国の話ですが、「たとえ、亡くなった後でも友人のことを大事に考えているのが、本当の友情である」ということでしょう。
 また、友人とは、利害でつながっているのではなく、心でつながっているのだから、みだりに高価な贈り物などしないほうがいいのです。プレゼントをもらえなかった、またはあげなかったからといって友人ではないのかといえば、そうではありません。たとえ、プレゼントを受け取ろうが、贈ろうが、そんなことは真の友情には何ら関係がないのです。