第10回
一条真也
「親の葬儀は人の道」

 

 前回も書きましたが、新年早々に妻の父親が亡くなりました。妻の実家がある広島県で通夜と葬儀を営みました。孔子が開いた儒教では、親の葬儀をあげることを「人の道」と位置づけ、人生の最重要事と位置づけています。
 孔子は「親が他界したら三年喪に服す」ことを唱えています。両親が健在の人は、自分の父母が亡くなったと想像してみるといいでしょう。当然ながら、とても悲しい気持ちになりますよね。あるいは、すでに親を亡くした経験がある人なら、どれだけ悲しいことか理解できるでしょう。
 『論語』には、次のような言葉があります。
 「曾子の曰わく、吾れ諸れを夫子に聞けり、孟荘子の孝や、其の他は能くすべきなり。其の父の臣と父の政とを改めざるは、是れ能くし難きなり。」〈子張篇〉
 亡くなった後で、「ああしてあげればよかった」「こうしてあげればよかった」と悔やむのではなく、親が健在のうちに孝行すべきなのです。
 孔子は、弟子の宰我に対して「君子三年礼を為さずんば、礼必らず壊れん」と断言し、さらに次のように述べます。
 「子の曰わく、予の不仁なるや。子生まれて三年、然る後に父母の懐を免る。夫れ三年の喪は天下の通喪なり。予や、其の父母に三年の愛あらんか。」〈陽貨篇〉
 「親が死んだら、3年間は喪に服さなければいけない。なぜなら、人はだれでも生まれてから3年間、赤ん坊だったときは自分では何もできず、親に完全に庇護されて生きてきたからだ」 というわけです。
 言うまでもないことですが、「3年間喪に服せ」というのは、そういう気持ちをもって生活せよということで、3年間ずっと家に閉じこもりなさいという教えではありません。
 それに、3年経ったら親への恩がなくなるというものでもないでしょう。いつまでも親への感謝の気持ちは忘れてはいけません。
 家族は人間関係の基礎になります。家族との関係がきちんとしていて、礼儀にかなっているなら、それだけでもう、人として正しい道を歩んでいるのです。
 ふだんから忘れがちだったり、なおざりにしがちな親のことを」、この機にあらためて考え直してみるといいかもしれません。