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一条真也
「天皇陛下とカチャーシー~長寿祝いを世界に発信」

 

こんにちは、一条真也です。
7月13日、天皇陛下の80歳の「傘寿」を祝って、民俗芸能の公演が催されました。会場は、皇居の桃華楽堂です。当日正午のNHKニュースでは、「天皇陛下の傘寿を祝い民俗芸能披露」として、以下のように紹介しました。
「天皇陛下の80歳、傘寿を祝う催しが、天皇皇后両陛下をはじめ皇族方も出席されて皇居で開かれ、全国各地の民俗芸能が披露されました。この催しは、天皇陛下が去年、傘寿の誕生日を迎えられたのを祝って、皇后さまの主催で開かれたものです。
皇居・東御苑の音楽堂には、両陛下をはじめ、皇太子ご一家や秋篠宮ご一家などの皇族方や、宮内庁の関係者などおよそ130人が集まりました。皇太子ご夫妻の長女の愛子さまや、秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまも、皇后さまの招きを受けて出席されました。
会場では、皇后さまが天皇陛下の側近と相談して選ばれた全国各地の郷土色豊かな8つの民俗芸能が披露されました。徳島県の『阿波おどり』や福島県の民謡『会津磐梯山』など各地を代表する演目に加え、島根県の神社に伝わる『鷺舞』など、かつて両陛下で地方を訪れた際に目にした民俗芸能も登場しました。皇后さまは、10年前にも天皇陛下の古希を祝うため各地の民俗芸能の公演を催したほか、20年前の天皇陛下の還暦にあたっても皇居で音楽会を開かれています。
13日は、公演の最後に出演者が全員で沖縄のお祝いの舞踊『カチャーシー』を踊り、天皇陛下に声をそろえて『おめでとうございます』と述べると、天皇陛下は、皇后さまとうれしそうに拍手を送られていました」
このニュースをたまたま見て、わたしは深い感銘を受けました。
まずは、天皇陛下が傘寿をお迎えになられたことに「おめでとうございます」というお祝いの気持ちが心の底から湧いてきました。日本は世界一の高齢化国とされています。
その日本には、長寿祝いというものがあります。
61歳の「還暦」、70歳の「古希」、77歳の「喜寿」、80歳の「傘寿」、88歳の「米寿」、90歳の「卒寿」、99歳の「白寿」などですね。わたしは、これら一連の長寿祝いというものは、人が幸せに生きていく上でとても重要な文化であると思っています。
皇室は神道と深い関係にありますが、神道では「老い」というものを神に近づく状態としてとらえています。神への最短距離にいる人間のことを「翁」と呼びます。また7歳以下の子どもは「童」と呼ばれ、神の子とされます。つまり、人生の両端にあたる高齢者と子どもが神に近く、それゆえに神に近づく「老い」は価値を持っているのです。だから、高齢者はいつでも尊敬される存在であると言えます。
長寿祝いというセレモニーは、高齢者が厳しい生物的競争を勝ち抜いてきた人生の勝利者であり、神に近い人間であるのだということを人々にくっきりとした形で見せてくれます。それは大いなる「老い」の祝宴なのです。それを日本国民の象徴である天皇陛下自らがお祝いされたという事実に、わたしは天皇陛下御自身が自ら「人は老いるほど豊かになる」ということを国民に示して下さったように感じました。
また、皇太子ご一家や秋篠宮ご一家などの皇族方が一同に会されたというのも嬉しかったです。
愛子さまも悠仁さまも御一緒に民俗芸能を鑑賞されたということを知り、しみじみと国民としての喜びが湧いてきます。
さらに、最後は沖縄の「カチャーシー」が踊られたと知って、わたしは感動しました。
会場では、北海道の「江差沖揚音頭」、青森県の「津軽三味線」といった各地の民俗芸能が披露されたそうです。それらの芸能も素晴らしいものですが、最後に「カチャーシー」というのが嬉しかったです。
昨年5月15日に沖縄は本土復帰40周年を迎えましたが、沖縄の方々はどれほど嬉しく、また誇らしく思ったことでしょうか!このアイデア、もちろん皇后さまの思いやりあるご配慮でしょう。
アドバイスをされたであろう天皇陛下の側近の方々にも感謝です。わが社は、沖縄県において冠婚葬祭事業を展開しており、おかげさまで結婚式も葬儀も最大の件数をお世話させていただいています。
1973年つまり復帰の翌年、サンレー沖縄はスタートしました。
わが社は北九州市を本拠地に各地に展開してきましたが、特に沖縄の地に縁を得たことは非常に深い意味があると思っています。というのは、サンレーの社名には「SUN-RAY(太陽の光)」「産霊(むすび)」「讃礼(礼の心を讃える)」という3つの意味がありますが、そのどれもが沖縄と密接にかかわっているからです。
結婚披露宴をはじめとして、沖縄の祝宴にはカチャーシーがつきものです。老若男女がみんな踊るさまは、本当にほほ笑ましいものです。しかも、おそらく過去の祖先たちも姿は見えないけれどそこにいて、一緒になって踊っているという気配がします。カチャーシーのリズムに身をまかせていると、なにか「生命は永遠である」という不思議な実感が湧いてきます。
内地でも長寿祝いを行いますが、沖縄の人々は「生年祝い」としてさらに長寿を盛大に祝います。人は長寿祝いで自らの「老い」を祝われるとき、祝ってくれる人々への感謝の心とともに、いずれ一個の生物として自分はいずれ人生を卒業するという運命を受け入れる覚悟を持ちます。また翁となった自分は、人生の卒業後に神となって愛する子孫たちを守っていくのだという覚悟を持ちます。祝宴のなごやかな空気のなかで、高齢者にそういった覚悟を自然に与える力が、長寿祝いにはあります。そういった意味で、長寿祝いとは生前葬でもあります。
そして、長寿祝いこそは究極の「終活」でもあります。
人間は必ず老い、必ず死にます。それは不幸なことではありません。
わたしは「老い」から「死」へ向かう人間を励ます「長寿祝い」という心豊かな文化を、日本から世界中に発信したいと思っています。

2014.8.1