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一条真也
「火山列島に生きる~噴火の脅威、温泉の恵み」

 

こんにちは、一条真也です。
長野・岐阜両県にまたがる御嶽山が噴火し、じつに56人の方々が亡くなられました。心より御冥福をお祈りいたします。今回の噴火は、火山活動としては戦後最多の犠牲者を出すという最悪の惨事になりました。
これまでは、火山活動による犠牲者が戦後最も多かったのは、1991年6月の長崎県雲仙・普賢岳の噴火でした。火砕流で43人が犠牲(行方不明を含む)になりましたが、今回の御嶽山噴火での死者はこれを上回ったのです。
雲仙・普賢岳といえば、先日、サンレー本社の社員旅行で訪れました。
雲仙は昭和2年に日本新八景山岳の部で1位になり、昭和9年にはわが国で最初の国立公園に指定されています。雲仙岳は、長崎県の島原半島中央部にある火山で千々石カルデラの外輪に位置します。
1792年5月21日(寛政4年旧暦4月1日)に雲仙岳眉山で発生した山体崩壊とこれによる津波災害は、有史以来日本最大の火山災害となりました。「島原大変肥後迷惑」と呼ばれ、肥前国と肥後国合わせて死者、行方不明者1万5000人の甚大な被害を出したのです。
御嶽山の噴火を受け、下村博文・文部科学大臣は文科省の科学技術・学術審議会地震火山部会で、火山研究の強化を明らかにしました。
わたしたち日本人は、火山列島に生きています。
少し前に、『火山列島の思想』益田勝実著(ちくま学芸文庫)という本を読みました。著者は、1923年に山口県下関市に生まれた国文学者です。東京大学文学部卒業、同大学大学院修士課程修了、長く法政大学教授を務めました。1989年に退職し、2010年に亡くなっています。説話研究や民俗学の視点を導入した研究で知られ、日本人の精神的古層を明らかにしました。この本は「日本人の心の原像とは何か?」「われわれの祖先たちはいかなる意識をもってこの火山列島に生き、またそれはどのようにわれわれの心に刻みこまれているのだろうか?」という問題を追及した本です。
この『火山列島の思想』は、宗教哲学者の鎌田東二先生の愛読書だそうです。
2012年9月23日の「朝日新聞」朝刊において、「古事記1300年 鎌田東二さんが選ぶ本」として、同書が紹介されています。同年は『古事記』編纂1300年、『方丈記』著述800年、法然没後800年、親鸞没後750年という節目の年に当たり、鎌田先生いわく「日本の宗教や文化の総括と未来につなぐ力と知恵が問われている年」でした。日本「古典」として第一に挙げられる古事記は、本居宣長の『古事記伝』以来、じつに多様な研究書が刊行されてきましたが、鎌田先生は改めて取り上げてみたい研究書として本書の名を挙げ、次のように述べています。
「この本を手にした学生の時、ワクワクした。『火山列島』のこの国にどのような『思想』が展開していったのか。『原始の日本人の呪術的想像力』を、古事記の創世神話や出雲神話や英雄伝説の内側に潜行して、その『呪術的想像力』のイメージと論理をたぐりよせる力ワザに目を瞠(みは)った。とりわけ、本のメーンタイトルともなった論考は、『日本的固有神の性格』という副題で、『オオナモチ』と呼ばれた『大国主神(おおくにぬしのかみ)』を、『大穴持の神として、この火山列島の各処に、時を異にして出現するであろう神々の共有名』で『火山の国に固有の神』と見てとるが、『3・11』後の日本社会の中での古事記や日本の神の問題を考える際、避けて通ることのできない視点であろう」
『火山列島の思想』には、さまざまな論考が収められていますが、書名にもなっている「火山列島の思想 ――日本的固有神の性格――」の冒頭には、以下のように書かれています。
「日本の神々がどこから来たかは、日本人がどこから来たかの問題である。そういう比較神話学的な問題の立て方に対して、わたしは片手落ちのようなものを感じている。同時に、この日本でしか生まれなかった神々、この列島生えぬきの神々のことも重視すべきではないか」
また、今や神道研究の第一人者である鎌田東二先生に大きな影響を与えたという「火山神オオナモチ」の論考は、以下のように述べられています。
「結局、火山神は、山容の神格化オオナモチから、噴火の神格化ヒの男神、ヒの女神、さらにその神の火への懼れ心から把握する神の姿オオモノイミへの、広い幅の中で仰がれ敬われていたわけである。火山神を重要視しなければならないのは、単に日本が火山列島であるからだけではない。神の不常在性、祭る者の忌みを重視しすぎて、神の客体化が弱い点など、信仰に現われた民族性が、火山神に集約してみられるからである。逆に言えば、火山神の少しもかかわり合わないところで、そういう民族性ができていったとは、どうしても考えにくいのである」
さらに続けて、著者は次のように述べています。
「不断に繰り返される事の中には、次々と新しいものが生まれつつ、古いものも死に絶えないでいろいろな形で生きながらえていく。古いということと、新しいということとが、断絶の契機においてのみ、古くあり、新しくあるようなものではないのである。大きな広がりと厚みを持って歴史は進展していく。日本民俗学のこうした方法は、対象の選択と把握にもおよび、日本の火山列島としての性格、火山列島での日本人の暮らしという面にもおよぶべきであった。しかし、そうならなかった。火山の脅威や火山灰地帯の生活の苦悩を、学問の対象にひき据えなかった」
さて、火山といえば噴火の脅威ばかりが思い浮かびますが、じつは温泉という恵みも日本人に与えてくれました。わたしは、会社や業界団体の旅行などで、年中、日本中の温泉を訪れ、湯に浸かっています。じつは、このたびの御嶽山噴火のニュースも、熊本県の玉名温泉で知りました。
わたしは大の温泉好きで、温泉に来ると、必ず3回は湯に浸かります。
湯に身を浸すと、心身ともにリラックスできます。温泉の良いところは、もちろんその効能もありますが、みんな裸になって入るところです。社長も新入社員も文字通り「裸になって」、フランクに会話ができます。温泉の大浴場ほど、自由な場所はありません。
日本には数多くの温泉があります。各地の温泉めぐりを趣味にした高齢者がたくさんいます。温泉めぐりのサークルもあるそうです。一般に、高齢者は体と心に好影響を与える風呂が好きですね。
考えてみれば、「初湯」にはじまり「湯灌」に終わる。人の一生は湯とともにあります。
噴火の脅威、温泉の恵み、その両方を与える両義的な火山とは、日本人にとって神そのものかもしれません。わたしたちは、火山列島に生きています。