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一条真也
「靖国から皇居へ~日本人が日本人であるためのカギ」

 

こんにちは、一条真也です。
このコラムで、なんと連載100回目となります。なんだか、あっという間のような気がします。どうぞ、これからもよろしくご愛読下さい。
さて、「死者を想う季節」である8月が終わりました。
69回目の「終戦の日」となる8月15日、わたしは靖国神社を参拝しました。
境内には、ものすごい数の参拝者が整然と列を作って並んでいました。これは、なかなか参拝できそうにありません。昨日は雨でしたが、今日の東京は快晴で、かなりの猛暑です。
わたしは、すぐに汗ビッショリになりました。
わたしのすぐ横に、2人の男性が並んでいて、1人は老人、1人は20代前半ぐらいの若者でした。
会話の内容から祖父と孫の関係のようです。ド派手なサングラスをかけたお孫さんは、DJ-OZUMAみたいなファンキーな装いでしたが、おじいさんと一緒に靖国参拝するとは偉いですね。その彼が「中国や韓国が本当にうるせーよな」と言うと、おじいさんは「あいつらが騒げば騒ぐほど、日本人はここに集まるんじゃ」と言われていました。
それにしても暑い! 汗がポタポタしたたり落ちます。神社の関係者が何度も「熱中症にご注意下さい! 気分が悪くなられた方がいたら、看護師が待機しています!」と叫んでいました。ふと拝殿の頭上に飛行物体が見えました。「もしや、ゼロ戦?」と思った人も多いのではないかと想像されますが、その正体は自衛隊のヘリコプターでした。機体に日の丸が描かれています。ヘリの自衛隊員も、英霊に鎮魂の祈りを捧げているのでしょうか。
すると、熱中症になりそうな猛暑の中、突如として涼しい一陣の風が吹いて来ました。それは、とても爽やかな風でした。並んでいる多くの人々も一様に「ああ、風だ!」と喜んでいました。この日、境内には大型送風機のようなものが何台か設置されていたので、その機械から送られてきた風かと思いましたが、違いました。それは明らかに自然の風だったのです。
わたしは、「この風は、きっと暑い中を並んでいる参拝者たちへのお礼として英霊たちが吹かせてくれた風かもしれない」と思い、以下の歌を詠みました。
「暑き日に列に並びて参拝す 英霊からの一陣の風」(庸軒)
待つこと30分弱、ようやく、わたしが参拝する順番が回ってきました。
拝殿には「さしのぼる 朝日の光 へだてなく 世を照らさむぞわがねがひなる」という昭和天皇御製が掲げられていました。69年前、昭和天皇の苦悩はいかばかりだったでしょうか。わたしは、安倍首相の公式参拝はもちろん、本来は天皇陛下がご親拝をされるべきだと思っています。
二礼二拍手一礼で参拝すると、とても心が澄んだ感じがしました。
わたしは「靖国は、日本が日本であるためのカギ」という上智大学名誉教授の渡部昇一先生の言葉を思い出しました。じつは、前日は「現代の賢人」として知られる渡部先生と対談をさせていただきました。靖国神社についても大いに意見交換させていただきました。
渡部先生からは、多くのことを教えていただきました。最近、渡部先生の新刊『渡部昇一、靖国を語る』(PHP研究所)を読ませていただきましたが、「後に続くものを信ず」と言い残して、それぞれの国難に遭って命を投げ出してくれた父祖たちを決して忘れてはならないというメッセージが貫かれています。それとともに、この本には目から鱗が落ちるというか、今まで知らなかったことがたくさん書かれていました。
「鎮霊社」というものの存在もその1つです。靖国神社には現在、約2万5000柱の英霊が祀られていますが、明治維新以来の日本人兵士全員が祀られているわけではありません。
そこに祀られているのは官軍の兵士のみです。
しかし、靖国神社の参道を真っ直ぐに進み本殿前の拝殿の手前で左に曲がると木々の中に10平方メートル程度の小さな祠があります.その祠の名前は「鎮霊社」。
屋根は本殿と同じ薄緑色ですが赤錆による腐食も本殿と違い目立ちます。1965年(昭和40年)7月に建立され、例祭は毎年7月13日です。ここには、拝殿に祀られていない死者たちが祀られています。
ペリー来航(1853年)以来の、本殿に祀られていない日本人戦没者(民間人や、戊辰戦争の旧幕府軍や西南戦争の西郷隆盛方戦没者などの「朝敵」)と世界中の戦没者が祀られているのです。
このように鎮霊社とは、国籍や人種を超えた戦争犠牲者の霊を祀る祠なのです。しかしながら、2006年までは高さ約3メートルの鉄柵で囲われ、一般参拝することは不可能でした。昨年12月26日、安倍晋三首相は26日午前、靖国神社を参拝しました。参拝後に発表された首相談話の冒頭で「本日、靖国神社に参拝し、国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました。また、戦争で亡くなられ、靖国神社に合祀されない国内、及び諸外国の人々を慰霊する鎮霊社にも、参拝いたしました」と語っています。
わたしも今回、ぜひ鎮霊社を参拝したいと思いました。
それで、拝殿を参拝後、左に抜けて向かいましたが、なんと柵に遮られており、「警備の為現在閉扉しております この場にてご参拝下さい」との案内がありました。残念です。
わたしは、首相の靖国神社公式参拝を批判する視点と「葬式は、要らない」という視点は共通していると考えています。そこには、「死者の尊厳」を欠いた歪んだ唯物論を感じます。そのことも前日の対談では大いに語りました。しかしながら、安部首相が靖国神社のみならず、鎮霊社まで参拝されたことは高く評価すべきでしょう。さらに、安倍首相にはぜひ参拝していただきたい施設があります。北九州市門司にある日本唯一のミャンマー式寺院であり、戦没者施設である「世界平和パゴダ」です。
わたしは、安倍首相こそは、本当の意味で先の不幸な戦争を総括できる政治家であると確信し、大いに期待しています。そのためには、靖国公式参拝だけでなく、さまざまな形で戦没者の慰霊や鎮魂の仕事をされるべきでしょう。そのためにも、一刻も早く世界平和パゴダを参拝していただきたいです。
その後、わたしは靖国神社から皇居へと向かいました。なぜか?
それは、69年前のこの日、日本の敗戦を知った人々が驚きと悲しみのあまり皇居の二重橋前の広場に集まったからです。靖国神社の拝殿の中の昭和天皇御製を見たとき、わたしは「どうしても皇居に行かなければ!」と思ったのです。そして、わたしは汗ビッショリのまま皇居を訪れました。「終戦の日」の皇居には意外にも日本人が少なかったです。靖国神社とは大違いですが、その代わりに外国人の姿が多かったです。欧米人やアジア系の人もたくさん見かけました。彼らはもちろん観光で日本に来ているのでしょうが、いわゆる「親日」なのでしょうか?
歴代124代の天皇の中で、昭和天皇は最もご苦労をされた方です。
その昭和天皇は、自身の生命を賭してまで日本国民を守ろうとされたのです。
わたしは二重橋を眺めながら謹んで以下の歌を詠みました。
「大君(おおきみ)の心しのびて二重橋 あの長き日は遠くなりけり」(庸軒)
それから、外国人観光客の間を縫って皇居を後にしました。
来年は、いよいよ「終戦70周年」を迎えます。