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一条真也
「白鵬と横綱の品格」

 

■著書『相撲よ!』を読んで


 前回に続いて、大相撲の話をしたいと思います。

 初場所、横綱・白鵬は33回目の優勝を果たしました。

 優勝回数で、昭和の大横綱・大鵬を抜いて単独で歴代最多となったのです。

 中学生のころからの大相撲ファンであるわたしは、白鵬の偉業達成を素直に讃(たた)えたいと思います。

 白鵬の人となり、考え方にも興味が湧き、彼の初の著書である『相撲よ!』(角川書店)を読みました。一読して思ったのは、現役の横綱である白鵬は、日本文化としての相撲の良き解説者であるということです。

 例えば、白鵬は相撲の本質について以下のように述べています。

 《まず、相撲は格闘技の1つではないということだ。

 競技であることは間違いないが、神事であることを見落としてはいけない。(中略)モンゴルにも国を挙げて行うナーダムという祭りがあるが、その祭事の1つとしてモンゴル相撲の競技が行われる。これは神様に捧(ささ)げる儀式である。そういう意味では少し共通点がある。さて、大相撲が「神事」であるという点だが、大相撲における「神」とは、八百万(やおよろず)の神である。土俵のしつらえや力士が行う所作の1つ1つが、神と関わっている》

 わたしは、土俵というものに強い関心を抱いています。

 というのも、「土俵」が円形であることから、わたしは「日の丸」「円」「和」などに通じる、まさに日本人の「こころ」を「かたち」にしたものであると思っているのです。


■土俵の神聖さを解説


 白鵬は、土俵の神聖さについて以下のように述べます。

 《とにかく土俵は神が降りる場所であるから、穢(けが)れを入れないのが大原則。だから、四股は土の中にいる魔物を踏みつぶす所作であるし、取組の前に塩をまくのは、土俵に穢れを入れないためと、己の穢れをはらい、安全を祈るためである。立ち合いで手をつくように厳しく言われるようになったが、それにはちゃんと意味があり、悪霊を追い祓う所作なのである。

 勝負に勝って、懸賞金を受け取る手刀には、勝負の三神へのあいさつだ。手刀をする場合、手は左、右、中央の順に動くが、三神とは、左=神産巣日神(かみむすひのかみ)、右=高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、中央=天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を意味する。手刀とは、それらの神への感謝の意を示す作法である》

 神事としての相撲のシンボルである「土俵入り」についても述べます。

 《土俵入りの意味としてまずあげられるのは、地面の下の悪霊を踏み潰すことである。柏手(かしわで)を打ち四股(しこ)を踏む。そうすることで、地鎮、つまり地の神を鎮める目的がある。さらに、土俵を活性化させ、五穀豊穣(ほうじょう)を願う意味もある。『せり上がり』は見せ場の1つである。大きく四股を踏み、不知火型ならば、両腕を広げ、足を地面に擦りつけながらぐいぐいとせり上がっていく。

 そして、上に向いていた手のひらをサッと返す。それは何の意味があるかというと、腕の上に載せた600貫の邪気を持ち上げてはねのけるための所作である》

 では、横綱が土俵入りをすることが、なぜ神事となりうるのでしょうか?

 その問いに対して、白鵬は「横綱が力士としての最上位であるからだ」と即答し、以下のように述べます。

 《そもそも「横綱」とは、横綱だけが腰に締めることを許される綱の名称である。その綱は、神棚などに飾る「注連(しめ)縄」のことである。さらにその綱には、御幣が下がっている。これはつまり、横綱は「現人神」であることを意味しているのである。横綱というのはそれだけ神聖な存在なのである》


■相撲の「美しさ」とは


 白鵬は、相撲には「美しさ」が大切であるとして、次のように語ります。

 《美しさと厳しさ、雄々しさと色気、そして番付を上げていく中で漂ってくる力士の品格...。そこに大相撲の深さや魅力があると思う。

 相撲とは、このような伝統文化であるから、単なる勝負ではない。土俵上の所作や態度から滲(し)み出る「美しさ」を大事にしなければならない。

 細かな話をするようだが、たとえば、塩のまき方も、ぞんざいであってはならない。相撲は「礼に始まり礼に終わる」というのが原則であるから、蹲踞(そんきょ)から柏手(かしわで)、仕切りはもちろんのこと、正々堂々と戦う姿勢、そして花道を戻るところまで、すべて礼を尽くしたものでなくてはならない》

 伝説の名横綱・双葉山が「双葉山相撲道場」を開設した時、陽明学者の安岡正篤が「力士規七則」というものを作りました。これは吉田松陰の「士規七則」にあやかったものだそうですが、その五条には「人にして礼節なきは禽獣(きんじゅう)にひとし。力士は古来礼節をもって聞ゆ。謹んでその道の美徳を失ふことなかれ」と記されています。


■物議かもした睨み合い


 2008年5月(東京)場所の朝青龍戦で、白鵬は土俵上で睨(にら)み合いをして非難を浴びたことがありますが、そのときにこの「力士規七則」の五条を聞かされたそうです。白鵬は、「相撲は神事としての側面をもち、日本の伝統が強く反映されたものだ。それを横綱である私が積極的に伝えていかなければならないと思っている」と述べています。

 『相撲よ!』は相撲の素晴らしさを力説した好著ですが、読了したわたしは「ここに書かれていることを、ぜひ著者に実行してほしい」と思いました。

 著者は神事としての相撲の最上位にある横綱の神聖さを説きます。そういう神聖な立場の横綱には、当然ながら「品格」が求められます。しかし残念ながら、この本を刊行してから4年後の現在、白鵬の土俵での態度が物議を醸しています。

 ずばり、「ダメ押し」や「懸賞金の取り方」が問題視されているのです。

 また、「カチ上げ」「張り手」「立ち合いの駆け引き」「土俵入りのアレンジ」など、最近の白鵬の土俵での態度は荒れているのが事実です。白鵬が取り組み前に汗をタオルで拭かないために、相手力士がすべるという品格以前の振る舞いが問題になっています。さらには、初場所13日目の勝負判定への不満から審判部を公然と批判したことも問題となりました。

 前人未到の大記録を達成した白鵬が実力と品格を兼ね備えた真の大横綱になってくれることを1人の相撲ファンとして切に願っています。