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一条真也
「京都で平和について考えた」

 

 こんにちは、一条真也です。

 3月10日から12日まで京都に行ってきました。「現代京都藝苑2015」というアートイベントの一環として北野天満宮で開催される「悲とアニマ-モノ学・感覚価値研究会展」「鎮魂茶会」「鎮魂舞台」の協賛をわが社がさせていただいたため、それらを視察に行ったのです。


■京都の寺院を見学


 一連のイベントの監修者は京都大学こころの未来研究センターの鎌田東二教授ですが、じつは鎌田教授とわたしは義兄弟の仲です。その縁で、わたし自身も同センターの連携研究員(こころとモノをつなぐワザの研究)を務めていますが、鎌田教授に再会するのも京都訪問の目的の1つでした。

 しかし、他にもまだ目的はありました。冠婚葬祭施設のデザインを考える上での勉強として、平等院、伏見稲荷大社、金閣寺、銀閣寺、龍安寺、北野天満宮、桂離宮などを見学したのです。

 まずは、10日に宇治の平等院を訪れました。わたしは、終戦60周年の2005年8月に平等院を訪れました。今年は終戦70周年ですから、じつに10年ぶりの訪問となりました。

 平等院は11世紀に藤原氏によって建てられた宗教建築ですが、平安時代における最大のベストセラーであった源信の『往生要集』の記述を参考に、あの世の極楽を三次元に再現したものでした。貴族から末端の民まで、老若男女はみんな平等院を訪れて、水面に浮かぶ鳳凰堂の影にリアルな極楽浄土の夢を見たのです。平等院はもともと、藤原道長の別荘としてつくられましたが、その道長はこの世の栄華を極め、それを満月に例えた次の有名な歌を残しています。

 「この世をば わが世とぞ思ふ望月の 欠けたることも なしと思へば」

 まさに、平等院こそは日本人の美意識のエキスが凝縮した時代である平安時代に出現した奇跡のバーチャルな極楽でした。


■「地球人の平等院」を


 「死は最大の平等である」と信じるわたしは、宇治にある「日本人の平等院」を超え、月の下にある地球人類すべての霊魂が帰る「地球人の平等院」を今世紀につくらねばならないと思いました。翌日の3月11日は、東日本大震災の4周年の日です。わたしは震災の犠牲者の方々に対して鎮魂の祈りを捧げ、鳳凰堂の前で以下の歌を詠みました。

 「天仰ぎあの世とぞ思う望月は すべての人がかへるふるさと」

 また、昨年末にリニューアルオープンしたわが社の「小倉紫雲閣」は、「月」を意識したデザインを採用しており、観月建築として知られる銀閣寺や桂離宮を参考にしました。古来、観月と日本建築は深く結びついていたとされます。

 特に、足利義政が晩年の情熱のすべてを傾けた銀閣寺、「日本の美のシンボル」とまで称される桂離宮などは「いかに月を美しく観るか」「月光を浴びたときに美しく見えるか」が設計コンセプトになっています。このコンセプトを新時代のセレモニーホールの設計に採用したのです。今回、そのデザインのディテールなどを確認するために、銀閣寺および桂離宮をじっくり見学しました。

 

■「鎮魂舞台」を鑑賞、震災を思う


 そして、東日本大震災4周年となる3月11日には、北野天満宮で開催された「悲とアニマ展」「鎮魂茶会」「鎮魂舞台」に参加しました。

 夜の「鎮魂舞台」では、同イベントのプロデューサー・やなぎみわ(演出家・美術作家・京都造形芸術大学教授)さんが作られた大型トレーラーがステージでした。いわゆる「移動舞台車」というものですが、「サンレー」の社名が車体に入っています。

 わたしは最前列中央の席で約2時間の「鎮魂舞台」を鑑賞しましたが、屋外であり、しかも当日は雪が舞うほどの寒さだったので、もう震え上がりました。

 最後の演目である能舞「天神~鎮魂・悲とアニマ」が終了すると、闇をつんざくような盛大な拍手が起こりました。挨拶のマイクを持った鎌田教授は「みなさま、今夜はお寒い中、最後までお付き合いくださり、誠にありがとうございました。京都の冬は寒いというのを痛感しますが、今日は3月11日。4年前の東北はもっと寒かったことと思います。しかも、津波の犠牲となられた方々は冷たい水の中で息を引き取っていかれたのです」と言われました。

 さらに鎌田先生は「わたしは震災1周年の日に、石巻で禊(みそぎ)をしました。海に入ったのですが、痛いほどの冷たさで3分と海中にはおられませんでした。生命の危機を感じて飛び出しました。あのような冷たい海の中に、犠牲者の方々は長くおられたのだなと思いました」としみじみと話されました。


■日中韓に愛されている花


 ところで、一連の鎮魂イベントそのものも興味深かったですが、わたしは昼間見学した北野天満宮に咲いていた梅の花の美しさに心を奪われました。紅梅も白梅もそれはそれは見事でしたが、梅の花を見ると、わたしは『論語』を連想します。

 2012年、わたしは『論語』と儒教精神の普及に貢献したとして、「孔子文化賞」を受賞しましたが、日中韓をはじめとした東アジア諸国の人々の心には孔子の「礼」の精神が流れていると信じています。

 いま、3国間の国際関係は良くないです。というか、最悪ですね。終戦70周年の今年こそ、日中韓の国民は究極の平和思想としての「礼」を思い起こさなければならないと思います。それには、お互いの違いだけでなく、共通点にも注目する必要があります。

 たとえば、日中韓の人々はいずれも梅の花を愛します。日本では桜、韓国ではむくげ、中国では牡丹(ぼたん)が国花または最も人気のある花ですが、日中韓で共通して尊ばれる花こそ梅なのです。

 それぞれの国花というナンバー1に注目するだけでなく、梅というナンバー2に着目してみてはどうでしょうか。そこから東アジアの平和の糸口が見えないものかと思いました。

 梅は寒い冬の日にいち早く香りの高い清楚(せいそ)な花を咲かせます。哲学者の梅原猛氏によれば、梅とは、まさに気高い人間の象徴であるといいます。日本人も中国人も韓国人も、いたずらにいがみ合わず、偏見を持たず、梅のように気高い人間を目指すべきではないでしょうか。

 そういえば、京都の各所には中国や韓国からの観光客の姿が目立ちました。


■「戦争をしなければ豊かになる」


 わたしは、イラク戦争を描いた映画「アメリカン・スナイパー」を観ながら、「戦争根絶のためには、ヒューマニズムに訴えるだけでなく、人類社会に『戦争をすれば損をする』というシステムを浸透させるべきではないか」などと考えました。損得勘定で動くのは経済ですが、「戦争をすれば貧しくなる」を進めて「戦争をしなければ豊かになる」という方向に持っていくことが必要です。

 そこで「戦争」の反対概念になるのが「観光」であると思いました。もともと「戦争」とは相手国を滅ぼそうという営みであり、「観光」とは相手国の素晴らしさ(光)を観ようという営みです。まさに正反対なのです。