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一条真也
「終戦70年に思う」

 

 こんにちは、一条真也です。
 ようやく暑い8月が終わりました。8月は、日本人にとって慰霊と鎮魂の季節です。というのも、6日の広島原爆の日、9日の長崎原爆の日、12日の御巣鷹山の日航機墜落事故の日、そして15日の終戦の日というふうに、3日置きに日本人にとって重大な意味のある日が訪れるからです。そして、それはまさに「お盆」の時期と重なります。今年は終戦70年という大きな節目の年であり、日本中が死者を想う日々を過ごしました。

■「長崎原爆の日」に想い重ねて

 特に、わたしは9日の「長崎原爆の日」には格別の想(おも)いがあります。70年前のこの日、広島に続いて長崎に落とされた原爆は、本当は小倉に落とされるはずでした。わたしの母は小倉の中心に住んでいたので、原爆が落ちていれば命はありませんでした。当然、わたしもこの世に生まれていません。
 今年、わたしは初めて、小倉の勝山公園で行われた式典に参加させていただきました。例年この日に公園内の原爆犠牲者慰霊平和祈念碑前において「北九州市原爆被害者の会」の主催で祈念式典が開催されています。70年目の節目となる今年、民間企業の代表として1人だけわたしが来賓としご招待を受けました。式典の最後に、わたしは献花用の花を受け取りました。
 わたしは、その花を心を込めて献じ、原爆犠牲者慰霊平和祈念碑に水を丁寧にかけ、礼服のポケットから数珠を取り出して犠牲者の御霊に対して心からの祈りを捧(ささ)げました。そして、万感の想いを込めて「長崎の鐘」を鳴らしました。その鐘の音は、魂に響き渡るような気がしました。その後、わたしは「長崎の鐘を鳴らせば この命いま在る奇跡 涙こぼるる」という歌を詠みました。

■忘れられない「終戦記念日」に

 それから15日も忘れられない一日になりました。70回目の「終戦の日」を迎えたこの日、わたしは東京の九段にある靖国神社を参拝しました。『唯葬論』(三五館)と『永遠葬』(現代書林)の2冊の新刊を持参しました。 
 昨年は参拝までに約30分待ちましたが、今年ははるかに参拝者の数が多かったです。その間、正午からは黙祷(もくとう)も行われました。そして、待つこと1時間以上、ようやく、わたしが参拝する順番が回ってきました。拝殿には「国のため命 ささげし人々の ことを思へば 胸せまりくる」という昭和天皇の御製(お歌)が掲げられていました。昭和34年の千鳥ケ淵戦没者墓苑にて詠まれた歌です。
 70年前、昭和天皇の苦悩はいかばかりだったでしょうか。わたしは、安倍晋三首相の公式参拝はもちろん、本来は天皇陛下がご親拝をされるべきだと思っています。二礼二拍手一礼で参拝すると、とても心が澄んだ感じがしました。
 わたしは、拙著『永遠の知的生活』(実業之日本社)で、「現代の賢者」と呼ばれる渡部昇一先生と対談させていただきました。そこでは「靖国問題の本質」についても意見交換させていただきました。そこで、渡部先生は「靖国神社問題は純粋に宗教の問題です。先祖、先人の霊を慰め供養するというのは、長い歴史と伝統によって培われた日本人の宗教的感情であり行為です。国のために命を捧げた人々を慰霊する靖国神社参拝は、この日本人の伝統的宗教感情の発露にほかなりません」と語っておられます。
 また、渡部先生は、日本は「カミ文明圏」の国であるといわれます。カミ文明圏は仏教も見事に吸収してきました。しかも世界で今、仏教がさかんなのは日本だけです。日本で盛んなのは大乗仏教ですが、それはカミ文明圏の中でのみ栄えました。日本には仏教系の大学がいくつかあります。仏教はカミ文明圏の中で欠くべからざる重要なものになりました。注意すべきは、日本が仏教文明圏になり、その中にカミが残ったのではないということです。儒教もしかり。儒教はカミ文明圏では儒学になりました。仏教同様、儒学がもっともよく残り、継承されているのがカミ文明圏の中の日本においてです。
 朝鮮は儒教文明に屈して仏教をほとんど絶滅させたのに、いまでは漢字さえ使わない国になりました。ここでも儒教文明圏にカミの文明圏が入ったのではなく、カミ文明圏のみが儒教を儒学として温かく抱擁しています。キリスト教もカミ文明圏の中で生き続けています。渡部先生ご自身はクリスチャンですが、伊勢神宮や出雲大社にもお参りします。違和感はまったくないそうです。そして、最後に渡部先生は「靖国神社の問題は、カミ文明圏で考えなければいけません」と述べられました。

■「和の文化」の国

 わたしは、それを聞いて「カミ文明圏」とは「和の文化」と同じ意味であると思いました。日本は「カミ文明圏」にして「和の文化」の国なのです。四季があって、春には桜が咲き、冬には雪が降る。梅雨には大雨が降り、台風が来て、雷が鳴り、地震が起こる。実にバラエティー豊かな自然の科学的理由を知らなかった古代の日本人たちは、それらの自然現象とは神々をはじめとした超自然的存在のなせる業であると信じたのです。そこから、多神教である神道が生まれました。
 神道は日本宗教のベースといえますが、教義や戒律を持たない柔らかな宗教であり、「和」を好む平和宗教でした。天孫民族と出雲民族でさえ非常に早くから融和してしまっています。まさに日本は大いなる「和」の国、つまり大和の国であることがよくわかります。神道が平和宗教であったがゆえに、後から入ってきた儒教も仏教も、最初は一時的に衝突があったにせよ、結果として共生し、さらには習合していったわけです。そういった日本人の信仰や宗教感覚は世界的に見てもきわめてユニークです。
 わたしは、靖国神社の参拝後、拝殿脇において、「大戦(いくさ)より過ぎし月は七十年(ななととせ)和を求めんと誓ふ靖國」という歌を詠みました。日本人は平和を愛しています。