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一条真也
「前代未聞の幽霊映画『岸辺の旅』」

 

 こんにちは、一条真也です。
 日本映画「岸辺の旅」を観ました。「リアル~完全なる首長竜の日」以来の黒沢清監督の新作です。第68回カンヌ国際映画祭の「ある視点部門」で日本人初の"監督賞"を受賞しました。

■ハートウオーミングなホラー映画

 3年間行方不明となっていた夫の優介(浅野忠信)が、ある日、ふいに妻の瑞希(深津絵里)のもとへ帰ってきます。優介が失踪してから帰宅するまでに関わってきた人々を訪ねる旅に瑞希を誘います。夫のいない空白の3年間をたどるように旅を続けるうちに、瑞希は彼への深い愛を再確認していきます。やがて優介が突然姿を現した理由、そして彼が瑞希に伝えたかったことが明らかになり、感動のラストを迎えるストーリーとなっています。
 わたしは黒沢清の映画が大好きで、これまで全作品を観ています。彼は、かの黒澤明監督と並んで「世界のクロサワ」と呼ばれています。カンヌ・ベネチア、ベルリンなど数々の国際映画祭で賞を受賞し、海外から高い評価を得ているからです。第61回カンヌ国際映画祭において、「ある視点部門」審査委員(JURY賞)を受賞した「トウキョウソナタ」などの芸術性の高い作品もありますが、彼の名声を高めたのは何といっても一連のディープなホラー映画です。
 「CURE」(1997年)から始まって、「カリスマ」(1999年)、「回路」(2000年)、「降霊」(2001年)、「ドッペルゲンガー」(2003年)、「LOFT」(2006年)、「叫」(2007年)といった、人間の深層心理に刃物を突きつけ、始原の感情である恐怖をわしづかみにして取り出すような作品を作ってきました。
 特に、わたしは「降霊」を高く評価しています。「降霊」は日本映画史上で最も怖い映画であると思っています。その黒沢清監督の最新作である「岸辺の旅」も「降霊」と同じく心霊がテーマであり、ホラーの要素もあるのですが、それ以上にハートウオーミングなジェントル・ゴースト・ストーリーとなっています。そして、愛する人を亡くした人が、死別という事実を受容して、壊れかかった「こころ」を取り戻し、「悲しみ」を癒していくというグリーフケア・ストーリーとなっています。
 映画「黄泉(よみ)がえり」を彷彿(ほうふつ)とさせますが、冒頭からいきなり死者が日常生活の中に登場します。深津絵里ふんするピアノ教師・瑞希のもとに、3年前に自殺している夫の優介がふらりと現れるのです。それは亡き夫の生前の好物であった白玉を妻が作っていたときでした。死者である優介の出現に瑞希はさほど驚かず、「おかえりなさい」と言います。
 そして、2人は死後の優介の足跡をたどる旅に出て、かつて優介が交流した人々と再会します。中には生者だけでなく死者も混じっているのですが、彼らは生きているときと同じように行動します。普通に仕事をし、食事をし、睡眠し、物を動かしたりもします。
 かつて心霊映画の名作である「シックス・センス」では、幽霊が物を動かさなくて済むように小道具を配置したとされていますが、この映画ではそんなことはまったくお構いなしです。その意味で、「岸辺の旅」は前代未聞の幽霊映画でした。

■「葬儀」と「幽霊」

 「岸辺の旅」は幽霊が登場する映画ですが、わたしはずっと葬儀のことを考えながら観ました。「葬儀」と「幽霊」は基本的に相いれません。葬儀とは故人の霊魂を成仏させるために行う儀式です。葬儀によって、故人は一人前の「死者」となるのです。幽霊は死者ではありません。死者になり損ねた境界的存在です。つまり、葬儀の失敗から幽霊は誕生するわけです。優介は瑞希の前から姿を消して、そのまま行方不明者となってしまいました。それゆえに、妻は夫の死を知らず、その葬儀をあげることができなかったのです。
 葬儀の失敗、あるいは葬儀を行わなかったことによって死者になり損ねた幽霊を、完全なる死者とするにはどうするか。そこで登場するのが、仏教説話でもおなじみの「供養」です。わたしは、供養とはあの世とこの世に橋をかける、死者と生者のコミュニケーションであると考えています。そして、供養においては、まず死者に、現状を理解させることが必要です。僧侶などの宗教者が「あなたは亡くなりましたよ」と死者に伝え、遺族をはじめとした生者が「わたしは元気ですから、心配しないでください。あなたのことは忘れませんよ」と死者に伝えることが供養の本質ではないでしょうか。
 さて、この映画には何度も何度も満月が登場しました。満月と幽霊には深い関係があります。世界各地で、満月の夜は幽霊が見えやすいという話を聞きます。映画でも幽霊出現の場面では、必ず夜空には満月が上っています。おそらく、満月の光は天然のホログラフィー現象を起こすのでしょう。つまり、自然界に焼きつけられた残像や、目には見えないけれど存在している霊の姿を浮かび上がらせる力が、満月の光にはあるのではないでしょうか。加えて、わたしは月こそは「あの世」ではないかと思っています。地球上の全人類の慰霊塔を月面に建てる「月面聖塔」のプランを温めたり、地上からレーザー(霊座)光線で故人の魂を送る「月への送魂」を行っています。
 月は古来より世界各地で死後の世界と見立てられてきました。このたび、京都大学こころの未来研究センター教授で宗教哲学者の鎌田東二氏と満月の夜に交わした往復書簡が単行本になりました。『満月交遊 ムーンサルトレター』上・下巻(水曜社)です。月の秘密についても大いに語り合っていますので、ぜひご一読を!