第6回
一条真也
「和を求めて」

 

 2015年秋、『WEBソナエ』の連載コラム「一条真也のハートフル・ライフ」を単行本化し、『和を求めて』(三五館)として上梓した。「和」という言葉を一躍有名にしたのは、かの聖徳太子である。日本人の宗教感覚には、神道も仏教も儒教も入り込んでいる。よく、「日本教」などとも呼ばれる。それを一種のハイブリッド宗教として見るなら、その宗祖とはブッダでも孔子もなく、やはり聖徳太子の名をあげなければならないだろう。
 現在の世界情勢は混乱をきわめている。2001年の米国同時多発テロ、2015年のパリ同時多発テロの背景には「宗教の衝突」があった。
 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三宗教は、その源をひとつとしながらも異なるかたちで発展したが、いずれも他の宗教を認めない一神教である。宗教的寛容性というものがないから対立し、戦争になってしまう。
 一方、八百万の神々をいただく多神教としての神道も、「慈悲」の心を求める仏教も、思いやりとしての「仁」を重要視する儒教も、他の宗教を認め、共存していける寛容性を持っている。自分だけを絶対視しない。自己を絶対的中心とはしない。根本的に開かれていて寛容であり、他者に対する畏敬の念を持っている。だからこそ、神道も仏教も儒教も日本において習合し、または融合したのだろう。
 そして、その宗教融合を成し遂げた人物こそ、聖徳太子であった。十七条憲法や冠位十二階にみられるごとく、太子は偉大な宗教編集者だった。儒教によって社会制度の調停をはかり、仏教によって人心の内的平安を実現する。
 すなわち心の部分を仏教で、社会の部分を儒教で、そして自然と人間の循環調停を神道が担う。3つの宗教がそれぞれ平和分担する「和」の宗教国家構想を説いた。
 この太子が行った宗教における編集作業は日本人の精神的伝統となり、鎌倉時代に起こった武士道、江戸時代の商人思想である石門心学、そして今日にいたるまで日本人の生活習慣に根づいている冠婚葬祭といったように、さまざまなかたちで開花してきた。
 十七条憲法の冒頭には「和を以って貴しと為す」と書かれている。日本最初の憲法の根幹は「和」というコンセプトに尽きるだろう。しかもその「和」は、横の和だけではなく、縦の和をも含んでいるのである。ここが素晴らしい。
 「天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず」とは『孟子』の言葉である。天の時、つまりタイミングは立地条件には及ばない。しかし、立地条件も「人の和」には及ばないという意味である。
 『孟子』が出てきたが、じつは日本文化のキーワードである「和」はメイド・イン・ジャパンではない。
 「和を以って貴しと為す」は聖徳太子のオリジナルではなく、『論語』に由来する。「礼の用は和を貴しと為す」が学而篇にある。「礼のはたらきとしては調和が貴いのである」という意味である。聖徳太子に先んじて孔子がいたわけだ。
 「和」は「平和」につながる。異色の哲学者として知られた中村天風は、和の気持ちこそ、平和を具現化する唯一の根本要素であると語った。そして、和の気持ちを持つためには「何よりも、第一に個々の家庭生活の日々の暮らしのなかに、真実の平和を築くことだ」と述べている。
 家庭円満こそ平和の基なのだ。