第12回
一条真也
「愛があるから死を見られる」

 

 この連載は「老福論」ということで、幸福な人生の修め方について書いてきましたが、今回は若い方の旅立ちについて書きます。
 歌舞伎俳優の市川海老蔵さんの妻でフリーアナウンサーの小林麻央さんが6月22日夜、自宅で亡くなられました。34歳でした。
 麻央さんが亡くなった翌朝、夫の海老蔵さんはブログを更新し、「人生で一番泣いた日です。」と綴りました。麻央さんも闘病の様子や心情、家族への思いなどを日々のブログに綴って、多くの読者の共感を呼んでいました。
 わたしの妻は毎日、麻央さんのブログを読み、その回復を願っていました。妻から麻央さんの容態などについてよく話を聞いていたので、わたしも信じられない気持ちでいっぱいです。まだ幼いお子さんをふたり遺して逝かれる心情を思うと、たまりません。
 でも、わたしは、麻央さんの人生は決して不幸ではなかったと思えてなりません。最後は在宅医療を選択され、愛する家族に囲まれて「そのとき」を迎えられました。また、麻央さんの生き方は多くの人々に勇気を与えました。これほど「覚悟」を持って生き切った方はなかなかいないのではないでしょうか。
 麻央さんの生き方は、確実に日本人の死生観に影響を与えました。麻央さんは、ブログの持つ豊かな可能性をも示してくださいました。
 これほど個人の病状を多くの日本人が気遣ったことがあったでしょうか。それこそ、昭和天皇のご闘病以来ではないかと思えるほどです。みんなが麻央さんの病状を気にし、回復を願っていました。
 亡くなる6日前に、その命を振り絞って書かれた「涙」というブログ記事では、涙を流した後に感じる「満たされた愛」について、麻央さんはその愛を誰かに渡したくなると述べておられます。
 自宅で家族に囲まれた麻央さんは海老蔵さんに「愛してる」と言って旅立たれたそうです。麻央さんは、最愛の夫や子供たちにしっかりと愛を渡したのでした。最期まで勇気をもって死に向き合った麻央さんでしたが、その勇気の源は愛する家族の存在でした。
 17世紀のフランスの文学者であるラ・ロシュフーコーは「太陽と死は直視できない」と言いました。確かに、太陽と死は直接見ることができません。
 でも、間接的なら見ることはできます。そう、サングラスをかければ太陽を見られます。そして、わたしは死にもサングラスのような存在があると思うのです。それは「愛」です。「死」という直視できないものを見るためのサングラスこそ「愛」ではないでしょうか。
 人は心から愛するものがあってはじめて、自らの死を乗り越え、永遠の時間の中で生きることができます。麻央さんも、「家族への愛」というサングラスをかけることによって、自身の死を正面から見つめることができたのでしょう。
 麻央さんから愛を渡された海老蔵さんも立派だったと思います。
 最後まで、夫として、父として、役者として、そして男として立派でした。おふたりは本当に見事なご夫婦でした。
 小林麻央さんのご冥福を心よりお祈りいたします。合掌。