第13回
一条真也
「死の本質を説く『般若心経』」

 

このたび、『般若心経 自由訳』(現代書林)を上梓した。仏教には啓典や根本経典のようなものは存在しないとされるが、あえていえば、『般若心経』が「経典の中の経典」と表現されることが多い。
 玄奘よる漢訳『般若心経』が日本に伝えられたのは8世紀、奈良時代のこと。遣唐使に同行した僧が持ち帰ったという。以来、1200年以上の歳月が流れ、日本における最も有名な経典となった。
 今年の4月8日、ブッダの誕生日である「花祭り」の日に、わたしは『般若心経 自由訳』を完成させた。
 その後、わたしは中国の西安を訪れた。かつて「長安」の名で唐の都として栄えたことで知られる。ここにある大雁塔は、玄奘が天竺(インド)から持ち帰った経典や仏像などを保存するために、高宗に申し出て建立した塔だ。大雁塔を訪れたわたしは、玄奘の像に『般若心経』を自由訳した報告をした。
 続いて、青龍寺を訪れた。ここは、弘法大師空海ゆかりの寺として知られる。四国八十八箇所の「0番札所」としても有名で、お遍路さんがよく訪れる。じつは、『般若心経』を自由訳するにあたり、わたしは空海の『般若心経秘鍵』をベースにした。なので、空海記念碑に向かって自由訳の報告をした。玄奘と空海の2人に報告を果たすことができ、感無量だった。
 これまで、日本人による『般若心経』の解釈の多くには誤解があったように思う。なぜなら、その核心思想である「空」を「無」と同意義にとらえ、本当の意味を理解していないからだ。「空」の思想がインドから入ってきたとき、中国人にはそれが理解できず、老荘思想の「無」と同一視したようだが、「空」とは「永遠」にほかならないと考える。
 「0」も「∞(無限)」もともに古代インドで生まれたコンセプトだが、「空」は後者を意味した。わたしは、「空」の本当の意味を考えに考え抜いて、死の「おそれ」や「かなしみ」が消えてゆくような訳文とした。「空」とは実在世界であり、あの世である。「色」とは仮想世界であり、この世であると考えたのだ。
 最後に出てくる「羯諦羯諦(ぎゃあてい ぎゃあてい)」が『般若心経』の最大の謎であり、核心であるといわれている。
 古来、この言葉の意味についてさまざまな解釈がなされてきたが、わたしは言葉の意味はなく、音としての呪文であると思った。そして、「ぎゃあてい ぎゃあてい」という古代インド語の響きは日本語の「おぎゃー おぎゃー」、すなわち赤ん坊の泣き声であるということに気づいたのである。
 人は、母の胎内からこの世に出てくるとき、「おぎゃあ、おぎゃあ」と言いながら生まれてくる。「はあらあぎゃあてい はらそうぎゃあてい ぼうじいそわか」という呪文は「おぎゃあ、おぎゃあ」と同じこと。すなわち、亡くなった人は赤ん坊と同じく、母なる世界に帰ってゆくのである。
 「あの世」とは母の胎内にほかならない。だから、死を怖れることなどないのだ。死別の悲しみに泣き暮らすこともない。「この世」を去った者は、温かく優しい母なる「あの世」へ往くのだから。