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一条真也
「死を乗り越える映画」

 

 「シン・ゴジラ」や「君の名は。」が大ヒットを記録し、多くの人々が映画館に足を運んでいる。そんな中、最新刊『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)を上梓した。
 この本では、死の「おそれ」や死別の「かなしみ」が薄らいでいくような映画を50本選んで紹介した。
 わたしは、映画を含む動画撮影技術が生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると思う。映画と写真という2つのメディアを比較してみよう。写真は、その瞬間を「封印」するという意味において、一般に「時間を殺す芸術」と呼ばれる。
 一方で、動画は「時間を生け捕りにする芸術」であると言えるだろう。かけがえのない時間をそのまま「保存」するからである。そのことは、わが子の運動会を必死でデジタルビデオカメラで撮影する親たちの姿を見てもよくわかる。「時間を保存する」ということは「時間を超越する」ことにつながり、「死すべき運命から自由になる」ことに通じる。
 写真が「死」のメディアなら、映画は「不死」のメディアではないだろうか。だからこそ、映画の誕生以来、無数のタイムトラベル映画が作られてきたのだろう。
 古代の宗教儀式は洞窟の中で生まれたという説があるが、映画館という洞窟の内部において、わたしたちは臨死体験をするように思える。
 なぜなら、映画館の中で闇を見るのではなく、わたしたち自身が闇の中からスクリーンに映し出される光を見るからである。
 闇とは「死」の世界であり、光とは「生」の世界。つまり、闇から光を見るというのは、死者が生者の世界を覗き見るという行為なのである。
 つまり、映画館に入るたび、観客は死の世界に足を踏み入れ、臨死体験するわけだ。わたし自身、映画館で映画を観るたびに、死ぬのが怖くなくなる感覚を得るのだが、それもそのはず。わたしは、映画館を訪れるたびに死者となっているのである。
 異色の映画ガイド、ぜひ一読を!