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一条真也
「玄冬の門に向かって」
 少し前に、本誌でも連載をされている作家の五木寛之氏を小倉にお招きして講演会を開催した。わが社の創立50周年記念イベントの一環で、演題は「生と死を考える」であった。
 わたしは中学時代に五木氏の小説『青春の門』を夢中で読み耽ったが、その影響で早稲田大学に進学することを決心したほどである。
 その五木氏は16年、『玄冬の門』(ベスト新書)という本を書かれ、話題になった。元気に老いるレッスンを説いた書で、「この門をくぐれば新しい世界が開ける」内容だ。
 『青春の門』から『玄冬の門』へ。このタイトルの背景には古代中国の思想がある。そこでは人生を四季にたとえ、五行説による色がそれぞれ与えられていた。すなわち、「玄冬」「青春」「朱夏」「白秋」である。
 それによると、人生は冬から始まる。まず生まれてから幼少期は未来の見えない暗闇の中にある。そんな幼少期に相当する季節は「冬」であり、それを表す色は原初の混沌の色、すなわち「玄」だ。
 玄冬の時期を過ぎると大地の下の種子が芽を出し、山野が青々と茂る春を迎える。これが「青春」。この時期を過ごす人を青年という。
 そして青年が中年になると夏という人生の盛りを迎える。燃える太陽のイメージからか、色は「朱」が与えられている。中年期を過ぎると人生は秋、色は「白」が与えられ、高齢期は「白秋」とされるのである。
 しかし、五木氏は『玄冬の門』において、青春・朱夏・白秋・玄冬と、「玄冬」を最後に持ってくる。五木氏は、玄冬を高齢期、老年期だと考えているのである。たしかに、四季というのは春夏秋冬だから、最初に玄冬をもってくるよりは、最後にもってきたほうが落ち着くように思う。
 古代中国には四季と方角と色と動物と人生とを対応させ合う、じつに壮大な宇宙観があった。そして、そのフレームの中に、青春から玄冬へと至る「人生の四季」、すなわち、ライフサイクルがあったのである。