第17回
一条真也
「人生を修めるヒント」

 

 このたび、高齢者の方々のために、『修活読本』(現代書林)という監修書を上梓しました。

 世の中は大変な「終活ブーム」ですが、どうも「終活」という言葉に違和感を抱いている方が多いようです。特に「終」の字が気に入らないという方に何人もお会いしました。

 もともと「終活」という言葉は就職活動を意味する「就活」をもじったもので、「終末活動」の略語だとされています。ならば、わたしも「終末」という言葉には違和感を覚えてしまいます。死は終わりなどではなく、「命には続きがある」と信じているからです。

 わたしは「終末」の代わりに「修生」、「終活」の代わりに「修活」という言葉を提唱しています。「修生」とは文字通り、「人生を修める」という意味です。そして、人生を修めるための活動が「修活」ということになります。

 死とは、人生を卒業することであり、葬儀とは「人生の卒業式」なのです。老い支度、死に支度をして自らの人生を修る...この覚悟が人生をアートのように美しくするのではないでしょうか。

 これまで数え切れないほど多くの宗教家や哲学者が「死」について考え、芸術家たちは死後の世界を表現してきました。医学や生理学を中心とする科学者たちも「死」の正体をつきとめようとして努力してきました。

 まさに「死」こそは人類最大のミステリーであり、人生最大の不安でもあります。その不安を乗り越えることも、「修活」の大きな目標です。

 究極の「修活」とは死生観を確立することではないでしょうか。死なない人はいませんし、死は万人に訪れるものですから、死の不安を乗り越え、死を穏やかに迎えられる死生観を持つことが大事だと思います。一般の人が、そのような死生観を持てるようにするには、どのようにしたらよいでしょうか。わたしがお勧めしているのは、読書と映画鑑賞です。

 まず読書からですが、例えば、人はガンで余命一年との告知を受けたとすると、「世界でこんなに悲惨な目にあっているのは自分しかいない」とか、「なぜ自分だけが不幸な目にあうのだ」などと考えがちです。

 しかし、本を読めば、この地上には、自分と同じガンで亡くなった人がたくさんいることや、自分より余命が短かった人がいることも知ります。これまでは、自分こそこの世における最大の悲劇の主人公と考えていても、読書によってそれが誤りであったことを悟ることができます。また、死を前にして、どのように生きたかを書いた本もたくさんあります。

 さらに、仏教でも、キリスト教などでも良いですが、宗教の本を読むことによって、死に向かっての覚悟や心構えなどが得られます。何もインプットせずに、自分一人の考えで死のことをあれこれ考えても、必ず悪い方向に行ってしまいます。ですから、死の不安を乗り越えるには、死と向き合った過去の先輩たちの言葉に触れることが良いと思います。

 読書ともに映画鑑賞も大切です。長い人類の歴史の中で、死ななかった人間はいませんし、愛する人を亡くした人間も無数にいます。その歴然とした事実を教えてくれる映画、「死」があるから「生」があるという真理に気づかせてくれる映画、死者の視点で発想するヒントを与えてくれる映画などがあります。

 また、わたしは、映画をはじめとした動画撮影技術が生まれた根源には、人間の「不死への憧れ」があると思っています。

 コミュニティセンター化を進めている紫雲閣では、いずれ、「老い」と「死」をテーマにした映画の上映会を開きたいと考えています。題して「修活映画館」です。

 本と映画には、人生を修めるヒントが無数に詰まっています。『修活読本』では、具体的に修活のための本と映画を紹介しています。ぜひ、ご一読ください。