第18回
一条真也
「冠婚葬祭は人生を豊かにする」

 

 みなさんが入会されているサンレーは冠婚葬祭互助会です。今回は、冠婚葬祭の意味と意義について考えてみたいと思います。

 そもそも、冠婚葬祭とは何でしょうか。「冠婚+葬祭」として、結婚式と葬儀のことだと思っている人も多いようです。たしかに婚礼と葬礼は人生の二大儀礼ではありますが、「冠婚葬祭」のすべてではありません。「冠婚+葬祭」ではなく、あくまで「冠+婚+葬+祭」なのです。

「冠」はもともと元服のことで、15歳前後で行われる男子の成人の式の際、貴族は冠を、武家は烏帽子(えぼし)を被ることに由来します。現在では、誕生から成人までのさまざまな成長行事を「冠」とします。

「祭」は先祖の祭祀です。三回忌などの追善供養、春と秋の彼岸や盆、さらには正月、節句、中元、歳暮など、日本の季節行事の多くは先祖を偲び、神を祀る日でした。現在では、法事などの先祖祭祀の他にも、正月から大晦日までの年中行事を「祭」とします。

 そして、「婚」と「葬」があります。結婚式ならびに葬儀の形式は、国や民族によって、きわめて著しく差異があります。これは世界各国の儀式には、その国の長年培われた宗教的伝統あるいは民族的慣習といったものが反映し、人々の心の支えとなる「民族的よりどころ」となっているからです。

 現在の日本社会は「無縁社会」などと呼ばれます。しかし、この世に無縁の人などいません。どんな人にだって、必ず血縁や地縁があります。そして、多くの人は学校や職場や趣味などでその他にもさまざまな縁を得ていきます。この世には、最初から多くの「縁」で満ちているのです。ただ、それに多くの人々は気づかないだけなのです。わたしは、「縁」という目に見えないものを実体化して見えるようにするものこそ冠婚葬祭であると思います。結婚式や葬儀、七五三や成人式や法事・法要のときほど、縁というものが強く意識されることはありません。冠婚葬祭が行われるとき、「縁」という抽象的概念が実体化され、可視化されるのではないでしょうか。

 さらに、儀式の果たす主な役割について考えてみましょう。それは、まず「時間を生み出すこと」にあります。日本における儀式あるいは儀礼は、「人生儀礼」(冠婚葬)と「年中行事」(祭)の二種類に大別できますが、これらの儀式は「時間を生み出す」役割を持っていました。

 わたしは、「時間を生み出す」という儀式の役割は「時間を楽しむ」に通じるのではないかと思います。「時間を愛でる」と言ってもいいでしょう。日本には「春夏秋冬」の四季があります。わたしは、儀式というものは「人生の季節」のようなものだと思います。七五三や成人式、長寿祝いといった人生儀礼とは人生の季節、人生の駅なのです。わたしたちは、季語のある俳句という文化のように、儀式によって人生という時間を愛でているのかもしれません。それはそのまま、人生を肯定することにつながります。 そう、冠婚葬祭とは人生を肯定することなのです。

 人間の「こころ」は、どこの国でも、いつの時代でも不安定です。だから、安定するための「かたち」すなわち儀式が必要なのです。そこで大切なことは先に「かたち」があって、そこに後から「こころ」が入るということ。逆ではダメです。「かたち」があるから、そこに「こころ」が収まるのです。

 人間の「こころ」が不安に揺れ動く時とはいつかを考えてみると、子供が生まれたとき、子どもが成長するとき、子どもが大人になるとき、結婚するとき、老いてゆくとき、そして死ぬとき、愛する人を亡くすときなどがあります。その不安を安定させるために、初宮祝、七五三、成人式、長寿祝い、葬儀といった一連の人生儀礼があるのです。

「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助翁は、「竹に節(フシ)がなければ、ズンベラボーでとりとめがなくて風雪に耐えるあの強さも生まれてこないであろう。竹にはやはり節がいるのである。同様に、流れる歳月にもやはり節がいる」との名言を残しています。冠婚葬祭という人生儀礼こそは、人間が生きていく上で流れる歳月の節にほかなりません。冠婚葬祭という節が人間を強くし、さらには人生を豊かにするのではないでしょうか。