17
一条真也
生活の古典を愛でる

 みなさんのお宅では、正月を祝われただろうか。しめ飾りと門松を飾り、初詣に行き、おせち料理を食べ、子どもや孫にお年玉をあげただろうか。

 なにも正月だけではない。お盆にはご先祖様をお迎えし、七五三ではわが子の健やかな成長を祝う・・・。日本には一年を通して、暮らしに根差した数多くの豊かな年中行事が伝わっている。

 年中行事とは、同じ暦日に毎年慣例として繰り返される行事のこと。そこには、昔からの伝統を大切に守り、また時間の流れと季節の移り変わりを愛でる日本人の「こころ」と「たましい」が込められている。

 民俗学者の折口信夫は、年中行事のことを「生活の古典」と呼んだ。彼は、『古事記』や『万葉集』や『源氏物語』などの「書物の古典」とともに、正月、節分、ひな祭り、端午の節句、七夕、お盆などの「生活の古典」が日本人にとって必要だと訴えた。

 いま、「伝統文化や伝統芸能を大切にせよ」などと耳にすることが少なくない。それはわたしたちの暮らしの中で昔から伝承されてきた「生活の古典」がなくなる前触れであり、正月もそのうち実体がなくなり、いずれは単なる1月になると予測する専門家さえいる。

 文化が大きく変化し、あるいは衰退するのは、日本の場合は元号が変わった時であると言われる。現に明治から大正、大正から昭和、昭和から平成へと変わった時、多くの「生活の古典」としての年中行事や祭り、しきたり、慣習などが消えていった。

おそらく、元号が変わると、「もう新しい時代なのだから、いまさら昔ながらの行事をすることもないだろう」という気分が強くなるのであろう。

 そして、平成も終わり、新しい令和の時代となった。新たな御代の到来は喜ばしいことだが、同時に新元号になれば、日本人の旧習・旧慣を古い無意味なものとする意識はさらに強くなるはずだ。

 しかし、わたしは、世の中には「変えてもいいもの」と「変えてはならないもの」があると考える。そして、年中行事の多くは、変えてはならないものであると確信している。

 書物の古典にしろ、生活の古典にしろ、昔から日本人が大切に守ってきたものを受け継ぐことには大きな意味がある。

それは日本人としての時間軸をしっかりと打ち立て、大和魂という「たましい」に養分を与えるからである。

 大和魂とは、大いなる和の魂だ。それは平和を愛する「たましい」であり、美しい自然を愛し、さらには神仏を敬い、先祖を大切にする精神であろう。

「古典」はその基なのだ。日本人がいつまでも心ゆたかな民族であり続けてほしいと願う。