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一条真也
「悲しい出来事〜絆を結び、

     縁を再確認し、感謝の心を思い起す〜」

こんにちは、一条真也です。

悲しい出来事がありました。わが社の営業部門のブロック長の奥さんが癌で亡くなられたのです。彼も奥さんも、ともに33歳という若さです。しかも1歳になったばかりの娘さんがいます。本当に気の毒でなりません。わたしは「死」をけっして「不幸」だとは考えていませんが、若い方が亡くなること、それも幼い子を残して亡くなることは、やはり堪らないものです。ちょうど、わが社の全国営業責任者会議が北九州で開かれていたのですが、もちろん彼は欠席しました。会議の夜は恒例の懇親会の予定でしたが、通夜が開かれるので、みんなで参列しました。 愛する人を亡くして悲しみの底にあるとき、仲間たちが駆けつけてくれれば少しでも心強く感じるものだと思います。わたしの訓示、それから懇親会の時間を繰り上げて、みんなで通夜に駆けつけました。みんなで、仲間の奥さんを悼みました。

わたしは、翌日の告別式に行きました。故人の遺影には、トレーナー姿のカジュアルな写真が使われていました。しかも故人は正面ではなく、顔が斜めになっています。スタッフに尋ねると、娘さんの百日祝いの写真だそうで、赤ちゃんを抱いている写真を遺影用にトリミングしたのだそうです。それを聞いたとたん、涙が溢れてきました。故人の遺影は、母となったばかりの誇らしげな顔だったのです。それにしても、まだ娘さんは1歳になったばかりです。しかも、百日(ももか)祝いと同じ発音の桃香(ももか)ちゃんというのです。まだ母親の死を知らないのでしょう、桃香ちゃんは、おばあちゃんに抱かれてキョトンとした顔をしていましたが、読経の間に眠ってしまいました。おばあちゃんが焼香するとき、パパに抱っこしてもらいましたが、そのとき、一瞬だけ目を開けて「パパ」とつぶやいたように聞こえました。そこで、また涙が出てきました。喪主である社員の挨拶によれば、宮崎県の延岡の営業ブロック長として現地に赴任していたが、奥さんが身体に異常を訴えたので病院に行ったところ、いきなり末期の膵臓がんと判明し、医師からは「手の施しようがない」と言われたそうです。それが、ほんの1ヶ月前だというのです。目の前が真っ暗になった彼は、とりあえず自分の母親と彼女の両親に来てもらい、奥さんを北九州の実家に移したそうです。そして、人生最後の1ヶ月を奥さんは大好きな家族とともに穏やかにくらし、みんなに感謝しながら亡くなられました。息を引き取るとき、すでに意識不明だったのですが、奇跡的に一瞬だけ意識が戻ったそうです。そのとき、開いた目は空中にわが子の姿を探したそうです。そこで、彼は桃香ちゃんを抱き上げて、奥さんの目の前に差し出しました。すると、奥さんは安心したような表情を見せ、息を引き取ったというのです。「最期に娘の姿を見ることができて幸せそうでした」という彼の言葉を聞いて、もう涙が止まりませんでした。

葬儀のラストには、DVDによる「思い出のアルバム」が流されました。故人が生まれたときの写真、子どもの頃、成人してからの写真。本人の宮参り、七五三、成人式、結婚式、そして、わが子の宮参り、百日祝い・・・・・「思い出のアルバム」には冠婚葬祭の写真が多いことに気づきました。冠婚葬祭とは、家族との思い出そのものなのだと再確認しました。ラストの写真は、幸せいっぱいの結婚披露宴のショットでした。4年前に、わが社のホテルで2人は結婚式をあげたそうです。そのときの参列者が、ほとんどそのまま今日の葬儀に来ていました。わたしは、家族の絆を結び、多くの方々との縁を再確認し、感謝の心を思い起す場として「結婚式」も「葬儀」も必要であると心の底から思いました。故人の七五三や成人式や結婚式を祝ってくれた家族や親族がいれば、桃香ちゃんもきっと多くの愛情を受けながら、健やかに育ってゆくでしょう。わたしは、心の底から、そう思いました。葬儀の後、家族や親族のみなさんが故人との最期のお別れをしていました。みなさん、涙を流されていました。泣きながら故人に別れを告げていました。このような最期の儀式が、要らないはずがありません。

2010.6.1