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一条真也
「孤独死〜常盤平団地 孤独死ゼロを目指して」

 

7月27日、東京で講演とディスカッションを行いました。
テーマは、「孤独死に学ぶ」です。
わたしのお相手に、千葉県松戸市の常盤平団地自治会長である中沢卓実さんをお招きしました。
かつて「東洋一のマンモス団地」と呼ばれた常盤平団地は、「孤独死防止のメッカ」とされ、さまざまな取り組みが行われていることで知られています。
全国のニュータウンに先駆けて50年前に建設され、1960年(昭和35年)4月に入居開始された団地です。4、5階建ての中層集合住宅です。
総戸数が4839で、全戸の入居が完了したのは1962年(昭和37年)でした。団地の中には保育所や幼稚園、小中学校、郵便局、商店街まで備えられていました。
まさに一つの新しい町、つまり「ニュータウン」が忽然と誕生したのです。
入居希望者が殺到しました。抽選倍率は、なんと20倍を超えたそうです。
若い夫婦と子どもたちであふれていた夢の団地は、半世紀近くの時間を経て、「孤独死」を招きいれてしまいます。
それは、2000年秋に起きました。
72歳の一人暮らしの男性の家賃の支払いが滞ったために何度も公団から催促状が発送されたにもかかわらず、何の連絡もありませんでした。
異常を感じた管理人は警察に連絡し、警察官がドアを開けます。
そこにあったのは、キッチンの流しの前の板間に横たわる白骨死体でした。
かつての「東洋一の団地」に衝撃が走り、住民たちは、「自分たちの団地から、孤独死が出るなんて!」「隣人とのつながりとは、そんなに希薄なものだったのか」「恥ずかしい、人に知られたくない」という気持ちをそれぞれ抱いたそうです。
誰もが大きなショックを受けました。みんな、孤独死とは団地などではなく、特別な状況下で起こるものであると思い込んでいたからです。
しかし、さらに独居老人の多くなった常盤平団地で、孤独死が続きます。
そこで立ち上がったのが、中沢氏を会長とする常盤平団地自治会のメンバーでした。「孤独死ゼロ」を合言葉に、崩壊したコミュニティを復活させるという目標を立てます。
そして、団地自治会を中心に、常盤平団地地区社会福祉協議会、民生委員が一緒になって、孤独死問題に対処するためのネットワークやシステムを作りました。
みなさんの努力が実って、常盤平団地の孤独死は激減しました。 
今では「孤独死防止のメッカ」とも呼ばれています。 わたしは、講演会&ディスカッションの数週間前、常盤平団地を訪れました。
そして、孤独死問題における我が国の第一人者である中沢さんにお会いしました。 
中沢さんは、孤独死をずっと見ていると、現代社会に生きる人々は「ないないづくし」で暮らしていることがよくわかるそうです。 
それは次の10点に集約されます。
  1.配偶者がいない。
  2.友だちがいない。
  3.会話がない。
  4.身内と連絡しない。
  5.あいさつをしない。
  6.近隣関係がない。
  7.自治会や地区社協の催しに参加しない。
  8.人のことはあまり考えない。 
  9.社会参加をしない。
 10.何事にも関心をもたない。 
中沢さんによれば、「孤独死は行政がなんとかしてくれる」という、あなた任せになる危険性があるといいます。そうではなく、自分たちの生活習慣を改めて、地域の幸せを皆でつくるという発想が大事なのです。
そこで出てくるキーワードが「あいさつ」でした。中沢さんは、次のように述べます。
「わたしたちが結構腐心するのは、言ってみれば、おじいちゃん、おばあちゃんから、若い人たちまで共通して理解されるものは何かということです。そうして行き着いたのが『あいさつ』することでした。誰でも参加できる、納得できる、それは『あいさつ』をすること。地域でこの運動を高めていこう。あいさつは孤独死ゼロの第一歩なのですよ」 
たしかに、「孤独死」は人間という『間』からドロップアウトする部分があるわけで、そうならないためには、もう一度『間』に戻る必要があります。
そのためには、『間』に入る魔法の呪文としての「あいさつ」が重要になるわけです。
まさに、「あいさつ」という「礼」の力こそが人間の幸福に直結していることを、中沢氏は孤独死の中から学んだのです。近隣との「ないないづくし」の関係を、あいさつすることによって、「あるあるづくし」に変えていけるのです。
これは「天下布礼」の旗を掲げるわたしにとって、心に沁みるような思いがしました。たしかに、あいさつには人間関係を良くするパワーがあります。
中沢さんは笑顔の素敵な方でした。
初対面のわたしに、いろいろと気さくに話してくれました。
また、元は週刊誌の記者だっただけあって、非常に博識な方でした。
人間の「間」という字には、「めぐりあい」という意味があることも教えていただきました。わたしが「死は最大の平等」という考えを述べると、大きくうなずかれて、「そうそう、死体もみんな平等なんだ」と言われて、孤独死の生々しい白骨死体やミイラ化した死体の写真を見せてくれました。
わたしは、中沢さんがこんな貴重な写真まで見せてくれたことに感慨の念を覚えました。おそらく、わたしのような若輩者を一人の同志だと思ってくれたような気がしたのです。 中沢さんとは意気投合し、「死」や「あいさつ」や「人間関係」などについて話しているうちに、あっという間に2時間が過ぎました。
中沢さんは、すれ違う団地の人たちから、「会長」と声をかけられていました。
みんな、中沢さんを尊敬し、中沢さんを頼りにしていることがわかりました。
わたしは、中沢さんのことを「落語に出てくるご隠居さんみたいだなあ」と思いました。
江戸時代、多くの長屋がありましたが、そこには住人たちから何でも相談される「人生の達人」としての隠居がいました。
その古き良き日本のご隠居さんの姿が、中沢さんと重なりました。
2010.8.2