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一条真也
「父の誕生日

 〜太陽を追う男と月を見上げる男の志」

こんにちは、一条真也です。
先月、わたしの父が75回目の誕生日を迎えました。
わたしは、妻と2人の娘と一緒に実家へ行き、父に「お誕生日おめでとうございます!」と言って、プレゼントと誕生日カードを渡しました。父は、とても嬉しそうでした。
父は、その日から後期高齢者になりました。しかし、自分は「高貴高齢者」、さらには「光輝好齢者」になりたいと語っていました。
また、老いには「老入」「老春」「老楽」「老遊」「老童」「老成」といった段階があり、高齢者になったら何事も陽にとらえる「陽転思考」が必要であると強調していました。
そう、人は老いるほど豊かになるのです!その真理を、父は自らの人生をもって、実証してくれていると感じました。これからも、父には元気で「老い」を満喫してほしいと思います。
そして、光り輝く好齢者になってほしいと心から願っています。
この夏、ある新聞で15回にわたり、「念ずれば花ひらく」のタイトルで父の一代記が連載されました。
その第1回目で、父は次のように語っています。
「故郷を離れて50年近くになりますが、年2回、必ずお墓参りにいきます。そのたびに改めて、子の世の中は先祖、血縁という縦のつながり、地域の隣人との横のつながりがあって生かされて、安心して幸せに暮らせるのだとつくづく感じています」
「血縁=縦糸」「地縁=横糸」という考え方は、わたしたち親子がいつも話すことです。冠婚葬祭というひとさまのためになる事業によって、縦糸と横糸を強くし、「心ゆたかな人生」という美しい織物を仕上げるお手伝いがしたいと考えているのです。 
冠婚葬祭も隣人祭りも、そのためのお手伝いなのです。 父は、また次のようにも語っています。
「ことし1月、NHKスペシャルの特集『無縁社会』を見ました。日本は自殺者が先進国のなかでワースト2位、さらに身元不明の自殺者とみられる死者や行き倒れ死などが急増していると指摘していました。だれにも気付かれず、引き取り手もないひとがいます。大きな反響を呼んだそうですが、家族や地域の絆がこれほどまでに希薄になっていることに驚きました」
「無縁社会」を乗り越える方策を考え、実践していくことは我が社に与えられた大きな使命だと思っています。我が社の「サンレー」という社名の第1の意味は「SUN-RAY」、すなわち太陽の光です。 
太陽の光が万物に等しく降り注ぐごとく、あらゆる人々に平等に儀式を提供したいという願いがこめられているのです。
太陽といえば、父の人生とは、太陽の追求の連続でした。
千葉県の房総半島に生を受けた会長は、少年期、太平洋に面した鴨川市の沖に浮かぶ仁右衛門島から昇る荘厳な日の出に心の底から魅せられたそうです。
その島がかの日蓮上人の修行の地と知りました。 若き日の日蓮は島によく渡っては、洞窟の中に座って朝の光を浴びながら修行したといわれます。
日蓮は我が一族の祖先とも浅からぬ縁があるようですが、1253年に清澄山頂で、大海原から昇る朝日に向かって、初めて「南無妙法蓮華経」と唱えたといいます。
その日蓮の同郷人として大いに影響を受けた父の心は自然と太陽を追い求めるようになったのです。
社名を「太陽の光」を意味するサンレーとし、国内で日照時間が一番長い宮崎、逆に一番短く最も太陽を求めている金沢、そしてまさに太陽の国・沖縄など太陽に関連する土地に次々に進出し、人々の心を明るく照らすべくチャレンジしてきました。
父は、「私の生涯は太陽、それも美しい日の出を追い求めていたような気がする。石垣島の日の出は世界一だと思うし、九州では門司の青浜から見る日の出が素晴らしい」と、語っています。
我が社は「太陽を追う男」が創業した、いわば「太陽を追う会社」なのです。
2004年には、やはりある新聞記事で「太陽を追う男」という父の一代記が連載され、また単行本にもなりました。
2007年に父が旭日小綬章を受章したとき、祝賀会で、長男であるわたしは次のように挨拶しました。
「旭日小綬章というのは、小さな太陽ということです。太陽を追い続け、その結果、ひとさまのお役に立ってきたことが認められ、父が小さな太陽を頂戴したことは息子として大きな喜びです!」
ちなみに父が「太陽を追う男」なら、わたしは「月を見上げる男」と社内で呼ばれているそうです。(笑)
フランスの箴言家ラ・ロシュフーコーは、「太陽と死は直視できない」と述べました。
直視できないだけでなく、太陽と死には「平等」という大きな共通点があります。
しかしながら、日本社会の現状はどうなっているでしょうか?
自殺、行き倒れ死、孤独死、無縁死・・・・・日本人の死に方が不平等になってきました。
なんとか、すべての日本人が平等な死を迎え、最期の儀式で心安らかに旅立っていただきたい。
それが、わたしたち親子の願いです。
新聞の連載タイトルになった「念ずれば花ひらく」は、もともとは詩人の坂村真民先生の言葉です。
父が坂村先生にお会いしたとき、教えていただいた言葉なのです。
「念」は「今の心」と書きます。今、目の前にあることを大切に心に思い、一生懸命に努力すれば、必ず道は開けるものだという意味です。
わたしたち親子の「今の心」とは、「良い人間関係づくりのお手伝いをして、世の中を明るくしたい」であり、「無縁社会を乗り越え、有縁社会を創造したい」です。
今、目の前にあることを大切に心に思い、一生懸命に努力すれば、わたしたち親子の願いは必ず叶うと信じています。なぜなら、その願いとは「自分が幸せになりたい」という夢ではなく、「世の人々を幸せにしたい」という志だからです。
2010.10.15