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一条真也
「チョコレート〜生きがいを与える魔法のお菓子」

 

こんにちは、一条真也です。
2月14日は、バレンタインデーでしたね。
男性のみなさんは、チョコレートを貰いましたか?
わたしは13日から出張に出ていたのですが、16日に帰ったら、自宅の書斎の机の上に手作りのチョコレートが入った袋が置かれていました。妻と娘が作ってくれたバレンタインのチョコレートです。
また朝、会社へ行くと社長室にたくさんのバレンタイン・チョコが届けられていました。
社員のみなさんや読者の方々が届けて下さったのです。
みなさんの心を思うと、感謝の気持ちでいっぱいです。
人と人の心を結びつける素敵なお菓子ですが、チョコレートがわたしたちの手元に届くまでには深刻な事情があります。 
『チョコレートの真実』キャロル・オフ著、北村陽子訳(英知出版)という本があります。
帯に大書されている「カカオ農園で働く子供たちは、チョコレートを知らない」という言葉が本書の内容を端的に要約しています。
カバー折り返し部分には次のように書かれています。
「私の国には学校へ向かいながらチョコレートをかじる子供がいて、ここには学校にも行けず、生きるために働かなければならない子供がいる。少年たちの瞳に映る問いは、両者の間の果てしない溝を浮かび上がらせる。なんと皮肉なことか。私の国で愛されている小さなお菓子。その生産に携わる子供たちは、そんな楽しみをまったく味わったことがない。おそらくこれからも味わうことはないだろう。これは私たちの生きている世界の裂け目を示している。カカオの実を収穫する手と、チョコレートに伸ばす手の間の溝は、埋めようもなく深い」(本文より)
「ショコラ」や「チャーリーとチョコレート工場」などの映画にも描かれているように、チョコレートは世界で最も愛されているお菓子です。
本書の序章「善と悪が交錯する場所」の章扉には、「ショコラ」の原作であるジョアン・ハリス『ショコラ』の次の文章が引用されています。
「夢の中で私は、チョコレートを夢中で頬ばり、チョコレートの中に寝転がります。少しもごつごつしていないのです。むしろ人の肌のように柔らかで、まるで無数の小さな口が小刻みに休みなく動いて、私の体をむさぼっていくようです。このまま優しく食べ尽くされてしまいたい。それはこれまで味わったこともない、誘惑の極致です」
しかし、原題を『BITTER CHOCOLATE(苦いチョコレート)』という本書『チョコレートの真実』には、チョコレートの甘さの裏にある苦い真実が描かれています。
著者は、ユーゴスラビアの崩壊からアフガニスタンにおけるアメリカ主導の「対テロ戦争」まで世界中の多くの紛争を取材・報道し続ける気鋭のカナダ人女性ジャーナリストです。本書では、カカオ生産の現場で横行する児童労働の実態や、巨大企業・政府の腐敗を暴きだしています。
西アフリカのコートジボワールは世界最大のカカオ豆の輸出国として知られています。
この国の密林奥深くの村を訪れた著者は、カカオ農園で働く子供たちに出会い、彼らが自分たちが育てた豆から何が作られるのかを知らないことに驚きます。
子どもたちは、自分に課された過酷な労働によって先進国の人々が愛するお菓子を作っていることも、さらにはチョコレートが何であるかさえ知らなかったのです!
著者は、古代メソアメリカ文明、すなわちマヤ・アステカの時代に始まるチョコレートの魅惑の歴史をたどりながら、その中で生まれ、今なお続く「哀しみの歴史」について危険をおかしてまで取材しました。まさに、著者のような本物のジャーナリストが示す「真実」には重みがあり、読む者の胸を打ちます。
本書を読んで思うことは、「では、自分に何ができるか?」です。
著者も、最後の謝辞で「カカオ豆を収穫する手とチョコレートの包み紙を開ける手の間の溝が埋められるためには?」と問いかけています。
わたしは、マザー・テレサを心からリスペクトしています。彼女の偉大な活動のひとつに「死を待つ人の家」を中心とした看取りの行為がありました。マザー亡き後も、インドのカルカッタでは彼女の後継者たちが「死を待つ人の家」を守っています。
死にゆく人々は栄養失調から来る衰弱死のため、たいていは苦悶の表情を浮かべて死んでいきます。しかし、いまわのきわに口に氷砂糖やチョコレートなどを含ませると、ニッコリと笑って旅立ってゆくそうです。
日本にはバレンタインデーで貰った義理チョコなどを食べきれずにいる男性も多いでしょう。ぜひ、そのようなチョコレートをインドの「死を待つ人の家」に送ってあげて、亡くなってゆく人の最期に口に含ませてあげることができればいいなと思います。
そして、カカオ農園で働くアフリカの子どもたちにもチョコレートをお腹いっぱい食べさせてあげたい。わたしは本書を読みながら、泣けて仕方がありませんでした。
何よりも辛いのは、子どもたちがチョコレートの存在そのものを知らないということです。
つまり、彼らは自分たちの過酷な労働の結果、チョコレートという夢のように甘くて美味しいお菓子が誕生していることを知らないのです。もし彼らがチョコレートを味わって、その美味しさに感動することがあれば、「自分たちは、人を幸せな気分にすることができる素晴らしいものを作っているのだ」ということに気づくことでしょう。
それは、彼らの「働きがい」、さらには「生きがい」にもつながるはずです。
そうです、チョコレートという魔法のお菓子は、インドの死にゆく人々に「死にがい」を与え、アフリカの子どもたちに「生きがい」を与えることができるのです。
そして日本では、バレンタインデーのチョコレートは「愛」や「感謝」の心を与えてくれます。人生に意味を与え、世界をキラキラと輝かせるからこそ、魔法のお菓子なのです。
わたしは、アフリカの子どもたちや、インドの老人たちに、世界を輝かせる魔法のお菓子としてのチョコレートが行き渡る世界が実現することを願ってやみません。
2011.3.1