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一条真也
「ザ・ライト〜儀式の持つ力とは何か」

 

こんにちは、一条真也です。
最近、興味深い映画を観ました。
「ザ・ライト~エクソシストの真実」という映画です。
21世紀の今も実在するという「悪魔祓い師」、すなわち「エクソシスト」の姿を描いた作品です。儀式という「かたち」の持つ「ちから」について考えさせられる映画でした。
エクソシストは、バチカン公認の正式な職業です。バチカンにはエクソシスト養成講座が存在しますし、そこで学んだ者たちが、実際に悪魔祓いの儀式を遂行します。
わたしは、もともと『バチカン・エクソシスト』トレイシー ウイルキンソン著、田口誠訳(文藝春秋)という本を読んでいましたので、この事実を知っていました。 前ローマ法王のヨハネ・パウロ2世は、「悪魔は実在する」と断言しました。そして、その在任中に三度にわたってエクソシストとして悪魔祓いの儀式を行っています。
中世の遺物であったはずの悪魔祓いの儀式が現代に復活した理由を探ったのが、「LAタイムズ」の女性敏腕記者でローマ支局長を務めたトレイシー・ウイルキンソンでした。「ザ・ライト」には、明らかに彼女をモデルにした女性ジャーナリストが登場します。
この映画には、2人のエクソシストが登場します。
アンソニー・ホプキンス演じるルーカス神父と、コリン・オドノヒュー演じる神学生のマイケルです。 2人とも実在の人物で、ルーカス神父はイタリアで2000回を超える悪魔払いを行い、現在も健在だそうです。また、神学生から神父となったマイケルは、アメリカのシカゴでエクソシストとして活躍しているとか。
この作品は、なんといっても、アンソニー・ホプキンスの存在感が強いです。本人いわく、「レクター博士以上に楽しかった」そうですが、悪魔が乗りうつって椅子に拘束されるルーカス神父の姿は「羊たちの沈黙」や「ハンニバル」のレクター博士を連想させました。
しかし、この映画の主役はルーカス神父ではなく、若い神学生マイケルです。 神も悪魔も、ともにその存在を疑っていたマイケルは、次第に一人前のエクソシストになっていきます。
その姿は、ある職業人の成長ストーリーでもあります。
そして、マイケルは葬儀業者の息子であり、父親の手伝いをずっと務めてきていました。いきなり映画の冒頭で、遺体安置所で遺体をきれいに整えるシーンが出てきたので、驚きました。マイケルの父は「おくりびと」でしたが、マイケル自身はエクソシストという「はらいびと」になったわけです。
そして、「おくりびと」と「はらいびと」は、とても似た職業なのです。
まず、映画の邦題である「ライト」という言葉ですが、その響きから多くの人は「正しい」という意味のRIGHTや「光」のLIGHTを連想するかもしれません。しかし、この映画の原題はRITEとなっており、すなわち「(宗教上の)儀式」という意味なのです。もちろん、「儀式」とは人間を「正しい」方向に向ける「光」を当てる営みであると考えることもできますが。
わたしは、この映画を観て、あることを再確認しました。
それは、葬儀も悪魔祓いも、ともに「物語の癒し」としての儀式だということです。 拙著『葬式は必要!』(双葉新書)にも書いたように、葬儀とは「物語の癒し」です。 愛する人を亡くした人の心は不安定に揺れ動いています。
大事な人間が消えていくことによって、これからの生活における不安。その人がいた場所がぽっかりあいてしまい、それをどうやって埋めたらよいのかといった不安。
残された人は、このような不安を抱えて数日間を過ごさなければなりません。 心が動揺していて矛盾を抱えているとき、この心に儀式のようなきちんとまとまった「かたち」を与えないと、人間の心はいつまでたっても不安や執着を抱えることになりますこれは非常に危険なことなのです。
古今東西、人間はどんどん死んでいきます。
この危険な時期を乗り越えるためには、動揺して不安を抱え込んでいる心にひとつの「かたち」を与えることが大事であり、ここに、葬儀の最大の意味があります。
この「かたち」はどのようにできているのでしょうか。
昔の仏式葬儀を見てもわかるように、死者がこの世から離れていくことをくっきりとした「ドラマ」にして見せることによって、動揺している人間の心に安定を与えるのです。ドラマによって形が与えられると、心はその形に収まっていき、どんな悲しいことでも乗り越えていけます。つまり、「物語」というものがあれば、人間の心はある程度、安定するものなのです。 
逆にどんな物語にも収まらないような不安を抱えていると、心はいつもグラグラ揺れ動いて、愛する肉親の死をいつまでも引きずっていかなければなりません。死者が遠くへ離れていくことをどうやって演出するかということが、葬儀の重要なポイントです。それをドラマ化して、物語とするために葬儀というものはあるのです。
それは、悪魔祓いの場合も、まったく同じです。 
悪魔が実在するのか、実在しないのかは置いておくとしても、悪魔が人間に憑依したものとして、周囲の人間は行動しなければなりません。
そして、悪魔と対決し、それを追い払う物語を演じる必要はあります。
悪魔と対決して追い払ったというドラマを演じることによって、病気だった患者や精神が衰弱しきっていた者が元気になったという多くの実例があります。
葬儀と同じく、悪魔祓いもまた、「物語の癒し」なのです。
実際に、物語は人間の「こころ」に対して効力があります。いや、理論の正しさや説得などより、物語こそが「こころ」に対して最大の力を発揮すると言ってもよいでしょう。
葬儀や悪魔祓いの儀式という「かたち」には「ちから」があるのです。
映画「ザ・ライト」を観て、儀式の持つ力を再確認しました。
2011.5.15