第2回
一条真也
「長屋のつき合い」

 

 かつての日本には隣人との心の交流がたくさんあったようです。わたしが経営する冠婚葬祭の会社では、2009年4月から9月までの半年間、「隣人との心のふれあい・助け合い」「隣人関係における心温まるエピソード」をテーマに体験談を募集しました。
 すると、全国から600を超えるご応募をいただきました。その中のエピソードを一つご紹介したいと思います。三重県にお住まいの60代後半の男性(ここではAさんとお呼びします)からの体験談でした。タイトルは「懐かしい長屋の温かい人のつながり」でした。
 終戦直後、日本中が貧しかった頃の話です。その日食べるものすらない状況でした。Aさんの父は、昭和21年に復員し、出征以前に勤めていた会社に復帰しましたが、仕事らしきものはほとんどなかったそうです。会社の社宅は、10軒続きの長屋でした。
 今では想像も出来ない人もいるでしょうが、当時の長屋というのは、まるでわが家のように隣近所の人が上がり込んで来ました。そんなつき合いなので、みんな家族同様でした。
 それから3、4年しても、まだ貧しい生活は続いていました。そんなある日、父も母も働きに出て、Aさんと2人の弟さんだけの時、隣のおばさんが丼にいっぱい盛ったご飯を持って来て、「おばさんちの田舎から、お米を送って来てくれたのでお裾分けです」と大きな丼を手に持たせてくれたそうです。
 お腹を空かせたAさんは、喉から手が出るほど食べたくなりました。弟2人も白い御飯に生唾を飲み込みます。白いご飯など、何日も食べていなかったのです。でも、「お父さん、お母さんが帰ってからね」と我慢しました。
 夕方、父と母が帰るなり、「隣のおばさんがね、白いご飯を食べてくださいって持って来てくれたよ」と言って、見せました。すると母は、家の丼に移し、丼を洗って母の実家から送って来た林檎を3つ入れて礼を言いに行きました。
 その日の夕飯、子ども3人の茶碗には蒸した白いご飯が出されました。父と母の茶碗は、おからでした。子供たちだけに食べさせてくれたのです。いつも無口な父は、安い3級の焼酎を飲みながら、にこにこと「どうだうまいか、よかったな」と上機嫌だったそうです。
 Aさんの体験談の最後には「貧しい生活ではあったが、あの長屋には、ほのぼのとした温かい人のつながりがあった」と書かれていました。