第9回
一条真也
「気になる隣人」

 

 今回は、東京都にお住まいの56歳のHさんという男性からのエピソードをご紹介します。
 Hさんのマンションに隣人が引っ越してきたのは、秋が過ぎて年の瀬のことでした。その隣人は「島村です」と名前を告げて、小さな菓子折りを差し出したそうです。
 隣の部屋に越してきても挨拶もしない人がいる時代に、Hさんは島村という男性に好感を持ちました。都会で暮らしている人の多くは、隣室にどんな人が住んでいるのか、その素性を詮索しようとはしません。
 それは都会で平穏に暮らしていくための知恵なのかもしれません。しかし、Hさんは初めて島村氏の顔を見た時、どこかで会ったことがあるような気がしたそうです。
 しばらくして、隣人の様子が少しわかってきました。Hさんの奥さんが「ほとんど昼間は、家にいるみたい。何の仕事をしているのか、わからない人だわ」と言いました。Hさんは朝早く会社に出勤しますが、毎日家にいるという島村氏に不安を覚えました。
 翌年の初夏を迎えた頃、マンションの管理組合で親睦会があり、島村氏も出席していました。Hさんはちょうどいい機会だと思い、彼に話しかけてみることにしました。
 はなしてみると、話し方がHさんの郷里のアクセントに似ている気がします。尋ねると、同じ新潟の出身だとわかりました。それも同じ中学の後輩でした。島村氏は「以前は証券会社に勤めていましたが、独立して自分で株の売買をやっています。妻とは離婚して子供たちとも離れ、それで引っ越してきました」と言いました。
 隣人の素性がわかって安心したHさんは、その日から島村氏と親しく交際し、食事にも招待するようになりました。
 島村氏は家族にも見放されて、寂しい思いをしていたのです。島村氏には友人と言える人がおらず、昔の同僚とも付き合いがなくなっていました。しかし、Hさんたちと親密になってからは、性格が明るく変わっていきました。
 すぐ隣ですから、何か問題が起こっても助け合えます。社会問題になっている孤独死だって防ぐことができるはずです。ある夜、島村氏が腸捻転で苦しんでいました。Hさんは、すぐに救急車を呼んで入院させてあげました。
 島村氏は、Hさんへの感謝の言葉とともに「つくづく隣人の大切さを知りました」と病床で語ったそうです。