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一条真也
「小倉に落ちるはずの原爆

   〜死者を忘れて、生者の幸福はない」

こんにちは、一条真也です。
猛暑が続きますが、みなさん、お元気でしょうか?
わたしは、いま、この原稿を8月8日に書いています。
明日は8月9日、そう、長崎に原爆が投下された日です。
わたしにとって、1年のうちでも最も重要な日です。
わたしは小倉に生まれ、今も小倉に住んでいます。
小倉とは何か。それは、世界史上最も強運な街です。
なぜなら、広島に続いて長崎に落とされた原爆は、本当は小倉に落とされるはずだったからです。
長崎型原爆・ファットマンは66年前の8月6日にテニアン島で組み立てられました。
8日には小倉を第1目標に、長崎を第2目標にして、9日に原爆を投下する指令がなされました。
9日に不可侵条約を結んでいたソ連が一方的に破棄して日本に宣戦布告。
この日の小倉上空は前日の八幡爆撃による煙やモヤがたち込めて視界不良だったため投下を断念。第2目標の長崎に、同日の午前11時2分、原爆が投下されました。
この原爆によって7万4000人もの生命が奪われ、7万5000人にも及ぶ人々が傷つき、現在でも多くの被爆者の方々が苦しんでおられます。
もし、この原爆が予定通りに小倉に投下されていたら、どうなっていたか。
広島の原爆では14万人の方々が亡くなられていますが、当時の小倉・八幡の北九州都市圏(人口約80万人)は広島・呉都市圏よりも人口が密集しており、おそらく想像を絶する数の人々が瞬時にして生命を落とす大虐殺が行われたであろうと言われています。
そして当時、わたしの母は小倉の中心部に住んでいました。よって原爆が投下された場合は確実に母の生命はなく、当然ながらわたしはこの世に生を受けていなかったのです。
死んだはずの人間が生きているように行動することを「幽霊現象」といいます。
考えてみれば、小倉の住人はみな幽霊のようなものです。
そう、小倉とは幽霊都市に他ならないのです!
実際、小倉ほど強運な街は世界中どこをさがしても見当たりません。 その地に本社を構えるわが社のミッションとは、死者の存在を生者に決して忘れさせないことだと、わたしは確信しています。
小倉の人々は、原爆で亡くなられた長崎の方々を絶対に忘れてはなりません。
いつも長崎の犠牲者の「死者のまなざし」を感じて生きる義務があります。
なぜなら、長崎の方々は命の恩人だからです。
しかし、悲しいことにその事実を知らない小倉の人々も多く存在します。
そこで長崎原爆記念日にあわせて、わが社では毎年、「昭和20年8月9日 小倉に落ちるはずだった原爆。」というキャッチコピーで「毎日新聞」をはじめとした各紙に全面広告を掲載しています。
今年も9日の朝、わが社の本社朝礼では、わたしは例年通りに次の短歌を詠みました。
「長崎の身代わり哀し 忘るるな 小倉に落つるはずの原爆」
そして、社員全員で黙祷を捧げました。
死者を忘れて、生者の幸福など絶対にありません。
長崎の原爆で亡くなられた方々の御冥福を心よりお祈りいたします。 そして、今年も15日の終戦記念日が訪れました。日本人だけで実に310万人もの方々が亡くなられた、あの悪夢のような戦争が終わって66年目を迎えたのです。
今から6年前の終戦60周年に当たる2005年8月、わたしは次の短歌を詠みました。
「ひめゆりよ 知覧ヒロシマ長崎よ 手と手あわせて 祈る八月」
さて、終戦記念日というと、必ず靖国神社の問題が取り上げられます。
わたしは「死は最大の平等である」であると信じています。ですから、死者に対する差別は絶対に許せません。官軍とか賊軍とか、軍人とか民間人とか、日本人とか外国人とか、死者にそんな区別や差別があってはならないと思います。
いっそのこと、みんなまとめて同じ場所に祀ればよいと真剣に思うのです。
でも、それでは戦没者の慰霊施設という概念を完全に超えてしまいます。
靖国だけではありません。アメリカのアーリントン墓地にしろ、韓国の戦争記念館にしろ、一般に戦没者施設というものは自国の戦死者しか祀らないものです。
しかし、それでは平等であるはずの死者に差別が生まれてしまう。
では、どうすればよいか。そこで登場するのが月です。
靖国問題がこれほど複雑化するのも、中国や韓国の干渉があるにせよ、遺族の方々が、戦争で亡くなった自分の愛する者が眠る場所が欲しいからであり、愛する者に会いに行く場所が必要だからです。
つまり、死者に対する心のベクトルの向け先を求めているのです。
それを月にすればどうか。月は日本中どこからでも、また韓国や中国からでも、アメリカからでも見上げることができます。その月を死者の霊が帰る場所とすればどうでしょうか。これは古代より世界各地で月があの世に見立てられてきたという人類の普遍的な見方をそのまま受け継ぐものです。
終戦60年の夏、わたしは靖国神社を参拝しました。
その後、東京から京都へ飛び、宇治の平等院を訪れました。
もともと藤原道長の別荘としてつくられた平等院は、源信の『往生要集』に出てくるあの世の極楽を三次元に再現したものでした。道長はこの世の栄華を極め、それを満月に例えて「この世をば わが世とぞ思ふ望月の 欠けこともなしと思へば」という有名な歌を残しています。
わたしは、「天仰ぎ あの世とぞ思ふ望月は すべての人が帰るふるさと」と詠みたい。
死が最大の平等ならば、宇治にある「日本人の平等院」を超え、月の下にある地球人類すべての霊魂が帰り、月から地球上の子孫を見守ってゆく「地球人の平等院」としての月面聖塔をつくりたいです。
靖国から月へ。平等院から月面聖塔へ。これからも地球に住む全人類にとっての慰霊や鎮魂の問題を真剣に考え、かつ具体的に提案していきたいと思っています。
2011.8.15