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一条真也
「読書の秋〜人は死ぬまで学び続ける」

 

こんにちは、一条真也です。
「読書の秋」ですが、みなさんは本を読まれていますか?
11月5日、わたしは「日本経済新聞」の「日経プラス1」に登場しました。
「仕事に役立つ読書術」という特集記事で、『東大家庭教師が教える頭が良くなる読書法』(中経出版)の著者である吉永賢一さんと『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)の著者のわたしの2人が取り上げられています。 いわば、東大読書法と面白読書法のコラボということになります。
記事の冒頭には、「読書は知識や教養を高めてくれる。人生の壁にぶつかった時、本が助けになることも少なくない。とはいえ忙しい社会人にとって本を読む時間は貴重だ。しっかり身になる読み方を読書の達人に教わった」と書かれています。
わたしの場合は、新しい分野を学ぶ時には入門書を複数冊買うことなどが紹介されています。その分野の全体像と重要なポイントを把握するためです。
10年前に社長に就任した際、わたしは「数字に強くなろう」という明確な目的を設定しました。そして、簡単な数学本から入って数字を好きになった後、会計本、金融論、経済学、経営論へと読み進んでいきました。どの分野も複数の入門書で基礎知識をつけたうえで専門書を20冊くらいずつ読みました。
「本を読んでも集中力が途切れたり、内容が頭に入ってこない場合はどうすればいいか」という質問を受けました。わたしは、読む前の準備として、著者のプロフィールをよく読み、著者像を具体的にイメージします。「名著や古典の場合、著者はすでに故人であるケースが大半だが、生前の姿をありありと思い浮かべ、1対1で自分のためだけに話してくれているとイメージする。自然と真剣になり、内容を吸収できる」とコメントしました。
さらに「目次」と「まえがき」は必ず読み、本の全体像と概要を把握します。後で自分が今読んでいる箇所がどういう位置づけかが分かり、理解しやすくなるからです。
本を読む時は、重要だと思う箇所にボールペンで赤線を引き、読み返して特に重要だと思ったら赤線を引いた箇所の上の余白に「※」の記号をつけておく。その後は赤線や「※」の箇所を中心に再読すれば、重要な部分を効率よく自分のものにできます。
わたしは、これまでに『論語』を約50回読みました。「40歳を前に読んだ時は孔子の言葉の一つひとつが今の自分の悩みについて語られていると思った。なぜ2500年前に生きた孔子がこんなに分かるのか不思議だった」とコメントしています。
読み返すたびに、その不思議な思いは強くなり、同時に理解が深まっていきました。
さらに、本を読み終えて、著者やその思想に関心を持ったら、「DNAリーディング」をお勧めします。
これは本に記載されている参考文献や本に出てくる人物の本を読んで、著者の思考の源流をたどっていく読み方です。
「例えば、経営者の稲盛和夫さんの本には松下幸之助がよく登場する。松下幸之助は渋沢栄一さんの影響を受け、渋沢栄一は石門心学の開祖・石田梅岩、石田梅岩は儒教の影響を受けており、最後は孔子にたどり着く。日本における『経済と道徳』の考え方が深く学べるわけである」とコメントしました。
さて、読書の最大の効用とは何でしょうか。
それは、金儲けではなく、心を豊かにすることです。そこで、「教養」がキーワードになってきます。
わたしは、「江戸しぐさ」を学んでいます。江戸の町衆の間に広まった思いやりの作法ですが、そのキーワードに「お心肥」(しんこやし)があります。
まさに江戸っ子の神髄を示している非常に含蓄のある江戸言葉のひとつです。
その意味は、頭の中を豊かにして、教養をつけるといった意味です。ただし、江戸っ子のいう教養とは「読み書き算盤」だけのことではありません。
本を読むことは、もちろん重要です。実際、彼らは『論語』をはじめとした儒学の本をよく読みました。でも、それだけでは足りません。
実際に体験し、自分で考えて、初めてその人の教養になるのです。人間はおいしいものを食べて身体を肥やすことばかりになりがちですが、それではいけません。立派な商人として大成するためには人格を磨き、教養を見につけること、すなわち心を肥やすことが大切なのです。
インテリジェンスには、色々な種類があります。学者のインテリジェンスもあれば、政治家や経営者のインテリジェンスもある。冒険家のインテリジェンスもあれば、お笑い芸人のインテリジェンスもある。
けっして、インテリジェンスというものは画一的なものではありません。 しかし、すべての人々に必要とされるものこそ、「心のインテリジェンス」であり、より具体的に言えば、「人間関係のインテリジェンス」ではないでしょうか。
つまり、他人に対して気持ち良く挨拶やお辞儀ができる。相手に思いやりのある言葉をかけ、楽しい会話を持つことができる。これは、「マネジメントとは、つまるところ一般教養のことである」というドラッカーの言葉にも通じます。
わたしは、教養こそは、あの世にも持っていける真の富だと確信しています。
あの丹波哲郎さんは80歳を過ぎてからパソコンを学びはじめました。
ドラッカーは96歳を目前にしてこの世を去るまで、『シェークスピア全集』と『ギリシャ悲劇全集』を何度も読み返していたそうです。
死が近くても、教養を身につけるための勉強が必要なのです。
モノをじっくり考えるためには、知識とボキャブラーが求められます。知識や言葉がないと考えは組み立てられません。死んだら、人は魂だけの存在になります。そのとき、学んだ知識が生きてくるのです。
そのためにも、人は死ぬまで学び続けなければなりません。現金も有価証券も不動産も宝石もあの世には持っていけません。それらは、しょせん、この世だけの「仮の富」です。
教養こそが、この世でもあの世でも価値のある「真の富」なのです。
2011.11.15