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一条真也
「孔子文化賞〜葬礼は人間の尊厳を重んじた価値ある行為」

 

こんにちは、一条真也です。
一般社団法人・世界孔子協会という団体があります。孔子直系の第五家系藤陽戸75代当主、つまり、孔子の子孫である孔健氏が会長を務められています。
その世界孔子協会は、昨年より「孔子文化賞」を制定し、日中友好の懸け橋として尽力し、孔子と論語の精神の普及に貢献した人物に贈っています。
このたび、わたしが、第2回「孔子文化賞」を受賞いたしました。
第1回目は、野村克也氏(プロ野球・東北楽天名誉監督)、渡邉美樹氏(ワタミグループ創業者)、 北尾吉孝氏(SBIホールディングス代表取締役執行役員CEO)、酒井雄哉氏(比叡山延暦寺大阿闍梨)の4名が受賞されています。
そして、今年の第2回目の受賞者は、以下の通りです。
稲盛和夫氏(財団法人稲盛財団理事長)、高木厚保氏(会津藩校日新館名誉顧問)、一条真也(平成心学塾塾長)。
誠に名誉なことで、「身に余る」とはまさにこのことです。
これもひとえに、この「一条真也の真心コラム」を愛読して下さっているみなさまのおかげだと心より感謝しております。本当に、ありがとうございます。
この世には、いろんな人の名前を冠した賞が存在します。
芥川龍之介、直木三十五、大宅荘一、小林秀雄、三島由紀夫、そして海外ではアルフレッド・ノーベルなど・・・・・。じつに多くの賞がありますが、賞の冠となっている人が自分自身が心からリスペクトしている人物であった場合の喜びはひとしおです。
わたしは、これまでに何度も述べてきたように、人類史上で最も孔子を尊敬しています。また、現在もお元気な方の中では、稲盛和夫先生を最も尊敬しています。最も尊敬している歴史上の人物の名前が入った賞を、最も尊敬している現役社会人の方と同時受賞する! この、まるで奇跡のような喜びを噛み締めています。
「人生、努力すれば、嬉しいこともあるんだなあ」と、しみじみ思います。 わたしの受賞理由としては、『世界一わかりやすい「論語」の授業』(PHP文庫)、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)などの著作や、主宰する平成心学塾を通じて、孔子および儒教の思想や倫理思想の普及に貢献したこと、加えて北陸大学客員教授として日本の学生や中国からの留学生に孔子研究の授業を行っているほか、社業を通じて「礼」の実践に努めたことなどだそうです。
『世界一わかりやすい「論語」の授業』と『孔子とドラッカー 新装版』以外にも、わたしは多くの著書で孔子の精神を紹介してきました。『葬式は必要!』(双葉新書)、『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)、『隣人の時代』(三五館)の「有縁社会再生三部作」をはじめとして、わたしの本にはすべて孔子の精神が溢れているように自分では思います。
しかし、受賞理由の中で最も嬉しかったのは、社業を通じて「礼」の実践に努めたことを認められたことです。「礼」とは、わが社の事業である冠婚葬祭の根本となるものです。
それは「人間尊重」の心であり、その心を世に広めることが「天下布礼」ということです。天下、つまり社会に広く人間尊重思想を広めることが、わが社の使命だと思っています。わたしたちは、この世で最も大切な仕事をさせていただいていると思っています。
かつて織田信長は、武力によって天下を制圧するという「天下布武」の旗を掲げました。しかし、わたしたちは「天下布礼」です。武力で天下を制圧するのではなく、「人間尊重」思想を実践することによって世の中を良くしたいのです。
そして、孔子が開いた儒教は葬儀という文化と深く関わっています。
長い間、日本において儒教は宗教と見られてはいませんでした。しかし、今日、そのような見方は否定されています。白川静の名著『孔子伝』(中公文庫)の功績です。
著者の白川静は、「孔子は孤児であった。父母の名も知られず、母はおそらく巫女であろう」と書いています。孔子は巫女の庶生子だったというのです。いわば、神の申し子です。
当時の巫女は、雨乞いと葬送儀礼にたずさわっていました。 孔子の生い立ちについては、次のように書かれています。
「貧賤こそ、偉大な精神を生む土壌であった。孔子はおそらく巫祝者の中に身をおいて、お供えごとの『徂豆』の遊びなどをして育ったのであろう。そして長じては、諸般の喪礼などに傭われて、葬祝のことなどを覚えていったことと思われる。葬儀に関する孔子の知識の該博さは、驚嘆すべきものがある。」
孔子から200年ほど後に登場する孟子の母親は、孟子が子どもの頃に葬式遊びをするのを嫌って家を3回替えた、いわゆる「孟母三遷」でよく知られています。
孟子の「こころの師」である孔子も、子ども時代にはよく葬式遊びをしたようです。
私生児であり、かつ父親を早く亡くしたため、貧困と苦難のうちに母と二人暮らしをした孔子の少年時代。今でいう母子家庭です。
葬儀の仕事をやりながら、孔子を育てた母。そんな母親とその仕事を孔子はどのように見たのでしょうか。おそらく、深い感謝の念と尊敬の念を抱いたのではないでしょうか。
孔子は母親の影響のもと、「葬礼ほど人間の尊厳を重んじた価値ある行為はない」と考えていたとしか思えません。そうでないと、孔子が生んだ儒教がこれほどまでに葬礼に価値を置く理由がまったくわからなくなります。
わたしは、30代の初めに著作活動を中止して、家業である冠婚葬祭業を営んでいました。
そのとき、たまたま読んだ『孔子伝』で、孔子が葬祭業としての原始儒教グループの出身であり、葬儀という仕事を形而上的に高めたところから、儒教が生まれたことを知りました。その後、儒教は「人間尊重」思想としての「礼」を発展させてきました。わたしは、冠婚葬祭という自分の仕事に心からの誇りを抱くことができました。
いま、わたしは、この仕事を天職であると思っています。
そして、すべての冠婚葬祭業に携わる人々は、孔子の精神的末裔であると思っています。
2月28日、東京は目白の椿山荘で孔子文化賞の授賞式が行われました。
業界を代表して、わたしが孔子文化賞を受賞させていただいたことは、日本の冠婚葬祭が認められたことでもあると思っています。今後は、より一層の強い覚悟で「天下布礼」に努める所存です。
2012.3.1