第1回
一条真也
「隣人の時代がやってきた!」

 

 これから、みなさんに「ハートフル」をテーマに、さまざまなメッセージをお届けしたいと思います。
 今年の3月11日、日本に未曾有の大災害が発生しました。東日本大震災です。じつに、わが国の観測史上最大となるマグニチュード9.0の巨大地震でした。
 大震災の発生直後、毎日、死者・行方不明者の数が増えてゆく一方でした。津波に流されたため、遺体も思うように見つからず、「人間の尊厳」というものを考えたとき、やりきれない思いがしました。まさに葬儀という営みが人間の尊厳に直結していることを再認識しました。
 未曾有の国難に遭った日本ですが、世界各国からは日本に対する賞賛の声が出ました。中国で日本人のマナーの良さが絶賛され、「マナー世界一」という声まで出たのです。中国は日本と同じく地震多発国であり、東日本大震災への関心も特に高いです。
 3月12日付の中国政府系国際情報紙「環球時報」は、大震災を一面で報じました。その見出しは、「日本人の冷静さに世界が感心」というものでした。さらに、12日より中国のインターネットには、非常事態にもかかわらず日本人は「冷静で礼儀正しい」との書き込みなどが相次ぎました。
 特に、11日の夜に「ツイッター」の中国版である「微博」に投稿された写真が衝撃的だったようです。それは、地震のためにJR新橋駅の構内で足止めされた通勤客の写真です。階段で通行の妨げにならないよう両脇に座り、中央に通路を確保している姿でした。
 この写真には、「(こうしたマナーの良さは)教育の結果。(日中の順位が逆転した)国内総生産(GDP)の規模だけで得られるものではない」との説明が付けられたそうです。
 通行人のために通路を確保し、多くの人々が規律正しく座っていた姿は「江戸しぐさ」そのものだと思います。江戸時代、江戸に住む庶民の間で行われていた思いやりの作法。東京には、まだ「江戸しぐさ」が残っていたのですね。
 こんな中、わたしは著書『隣人の時代』(三五館)を刊行しました。もともとは「無縁社会」を乗り越え、「有縁社会」を再生するために本書を書きました。でも、大震災の直後に本書を上梓したことは、とてつもなく大きな意味があるように思います。
 わたしは、この大地震によって、日本に「隣人の時代」が呼び込まれるかもしれないと考えています。思えば、阪神淡路大震災のときに、日本に本格的なボランティアが根づきました。つまり、あのときが日本における「隣人の時代」の夜明けだったわけです。
 今また、多くの方々が隣人の助けを必要としています。「無縁社会」や「孤族の国」では、困っている人を救えません。各地で、人々が隣人愛を発揮しなければ、日本は存続していけないのです。
 実際、東日本大震災の発生直後から、多くの人々が隣人愛を発揮しています。東北の避難所では、ボランティアの人々がおにぎりを握りました。
 11日の東京では、都内の仕事場から帰る足を奪われた人たちに暖を取ってもらうために、営業時間が過ぎても店を開放している飲食店がありました。また、道往く人を励ますために、売れ残ったお菓子類を無料で配った和菓子屋さんもありました。 日本の各地で、誰かを助けようとして必死になっている人々がいるのです。いわば、多くの人々が隣人愛を発揮しているのです。
 隣人愛の発揮は、国内だけではありません。先月の大地震で犠牲者多数を出したニュージーランドをはじめ、100以上の国々からの援助隊が日本にやって来ました。
 ツイッターでは、海外から「#Pray for Japan(日本のために祈る)」というハッシュタグで被災者の無事を祈るツイートが世界中から寄せられました。
 今度の地震によって、わたしたちの社会は明らかにその方向性を変えるでしょう。そう、「無縁社会」から「有縁社会」へと進路変更するのです。
 なぜ、世界中の人々は隣人愛を発揮するのでしょうか。その答えは簡単です。それは、人類の本能だからです。
 「隣人愛」は「相互扶助」につながります。よく、「人」という字は互いが支えあってできていると言われます。互いが支え合い、助け合うことは、じつは人類の本能なのです。『隣人の時代』を貫くメッセージは、「助け合いは、人類の本能だ!」です。
 わたしは、さまざまな想いを込めて『隣人の時代』を書きました。そして、いま、このメッセージを書いています。
 わたしは天に向かって祈ります。
 亡くなられた被害者の方々の御冥福と、1人でも多くの被災者の方々が、どうか一日も早く安心して暮らせますように。