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一条真也
「沖縄が日本を救う〜いちゃりばちょーでいの有縁社会」

 

こんにちは、一条真也です。
前回、沖縄の成人式の話をしました。わが社は沖縄でも冠婚葬祭事業を展開しています。そのため、わたしは沖縄によく行きます。
昨年12月25日のクリスマスの日、沖縄に新しいわが社のセレモニーホールがオープンしました。
クリスマス・イブの24日、わたしの乗ったANA機は那覇空港に降り立ちました。クリスマス寒波が各地に到来し、北九州では雪も降りましたが、沖縄は気温約20度で暖かかったです。
25日、これから沖縄県名護市で「北部紫雲閣」の竣工式が開かれました。
昨年4月には、嘉手納基地のすぐ近くに「中部紫雲閣」をオープンしました。
今度の「北部紫雲閣」は、普天間基地の移転先とされた辺野古のすぐ近くです。
わが社では、この年、10番目にオープンしたセレモニーホールでした。
ちなみに、わたしはセレモニーホールとは精神文化の拠点であり、究極の平和施設であると思っています。思い起こせば、普天間基地の移転問題から、民主党政権は迷走を始めました。 新しい年の訪れを目前とし、日本と世界の平和を願わずにはおれません。
ところで、沖縄県名護市は「あけみおのまち」と呼ばれています。その意味について、名護市のHPには「あけみおとは、夜明けの美しい静かな入り江の青々とした水の流れの意」と書かれています。海のかなたのニライカナイから人々に豊穣をもたらす流れであり、海の外へと広がり行く水の流れでもあります。人々の幸せを願い、可能性に向かって突き進む名護市の進取の精神が込められているのです。そこで、わたしは本日の竣工式の施主挨拶の最後に次のような短歌を詠みました。
「あけみおのまちに生まれし 幸せの紫の雲ニライカナイへ」
新セレモニーホールを幸福の楽園ニライカナイへの港にしたいと願っています。
1973年、つまり復帰の翌年に、サンレー沖縄はスタートしました。
わが社は北九州市を本拠地に各地に展開してきましたが、特に沖縄の地に縁を得たことは非常に深い意味があると思っています。というのは、「サンレー」という社名には3つの意味がありますが、そのどれもが沖縄と密接にかかわっているからです。
まず、サンレーとは「SUN-RAY(太陽の光)」です。
沖縄にはきわめてユニークな太陽洞窟信仰というものがあります。首里から見て東の方角にあるため久高島が太陽の生まれる島、つまり神の島とされたようです。
久高島から昇った太陽は海の彼方にある死後の理想郷ニライカナイに沈むといいます。
わたしはセレモニーホールとは魂の港としてのソウル・ポートであり、ここから故人の魂はニライカナイへ旅立っていくと思っています。
次に、サンレーとは「産霊(むすび)」です。
「生命をよみがえらせる」という意味ですが、産霊の最大の舞台といえば、祭りです。
沖縄は「祭りの島」と呼ばれるほど、祭礼が多いですね。
産霊とは、「生命そのものの誕生」も意味します。
沖縄は出生率が日本一です。15歳以下の年少人口率も日本一で、まともな人口構造は日本で沖縄だけなのです。沖縄の結婚式を見ると、花嫁さんのおなかが大きな結婚式が多い印象です。つまり「できちゃった結婚」がとても多いわけですね。
わたしは、これは非常に素晴らしいことと思います。
少子化社会を乗り越えるには、「産めよ増やせよ」しかないわけですから。
そして、サンレーとは「讃礼(礼の心を讃える)」です。
言うまでもなく、沖縄は守礼之邦です。礼においても最も大事なことは親の葬儀であり、先祖供養です。
沖縄人ほど、先祖を大切にする人はいません。沖縄の人は先祖の墓の前で会食します。
先祖と一緒にご飯を食べ、そこは先祖と子孫が交流する空間となるわけです。
子どものころから墓で遊ぶことは、家族意識や共同体意識を育ててくれます。
これは今の日本人に最も欠けているものであり、ぜひ本土でもやるべきです。
沖縄の結婚式も葬儀も、日本で最も多くの人々が参列します。
沖縄では、人間関係というものが何よりも優先されます。
そして、冠婚葬祭でのつきあいが最重視されるのです。
沖縄の人々は、先祖だけでなく、隣人というものを日本中のどこよりも大切にします。
わたしたちが幸せに生きるためには、どうすべきか。
わたしは、何よりも、先祖と隣人を大切にすることが求められると思っています。
まず、死者を忘れないということが大切です。わたしたちは、いつでも死者とともに生きているのです。死者を忘れて生者の幸福など絶対にありえません。最も身近な死者とは、多くの人にとって先祖でしょう。先祖をいつも意識して暮らすということが必要です。
もちろん、わたしたちは生きているわけで、死者だけと暮らすわけにはいきません。
ならば、誰とともに暮らすのか。まずは、家族であり、それから隣人です。
沖縄の人々は、「世界一幸福な国」と呼ばれるブータンの人々と同じく、その「こころ」に血縁の縦糸と地縁の横糸をしっかりと張っているのです。だから、どんな苦難にも「なんくるないさ~」と言いながら、生きることができるのかもしれません。
しかも、沖縄がすごいのはそれだけではありません。沖縄の人々がよく使う「いちゃりばちょーでい」という言葉は、「一度会ったら兄弟」という意味です。沖縄では、あらゆる縁が生かされるのですね。
まさに「袖すり合うも多生の縁」は沖縄にあり!
「守礼之邦」は、大いなる「有縁社会」なのです。
わたしは沖縄が大好きです。沖縄の地で40年間、冠婚葬祭業を続けてこられたことを心の底から誇りに思います。そして、沖縄には本土の人間が忘れた「人の道」があり、それこそ日本人の原点であると思います。かつて、わたしは「くじけずに なんくるないさ言ふこころ いま沖縄(うちなー)が大和(やまと)救へり」という短歌を詠みました。
すべての日本人が幸せに暮らすためのヒントが沖縄にはたくさんあります。
今こそ、すべての日本人は「沖縄復帰」するべきです。

2013.2.15