74
一条真也
「シャボン玉とホタル〜死者によって生かされている」

 

こんにちは、一条真也です。
先日、茨城県北茨城市磯原町磯原にある「野口雨情記念館」を訪れました。
日本を代表する童謡作家の野口雨情は、明治15年、現在の北茨城市の磯原に生まれました。記念館には、雨情の作品や書、著作などが展示されていました。
わたしは、「十五夜お月さん」「七つの子」「赤い靴」「青い眼の人形」「シャボン玉」「こがね虫」「あの町この町」「雨降りお月さん」「証城寺の狸囃子」「うさぎのダンス」などの多くの名作を書いた雨情の大ファンです。
特に、「月」や「うさぎ」をテーマにした歌が多く、うさぎ年で月狂いのわたしにはたまりません。
雨情の童謡作品はどれも、なんだか泣きたくなるような郷愁と哀愁が強く感じられます。
それは、その歌の背景にはさまざまな現実のストーリーがあるからです。
たとえば、「赤い靴」にはモデルとなった女の子がいましたが、彼女は渡米を果たさずに病気で夭折しています。「青い眼の人形」も実話に基づいて作られた歌です。
そして、「シャボン玉」は雨情が幼くして失った長女を歌った作品だとされています。
歌詞は次の通りです。

シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた

シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
産まれてすぐに
こわれて消えた

風、風、吹くな
シャボン玉飛ばそ

「シャボン玉消えた 飛ばずに消えた 産まれてすぐに こわれて消えた」という歌詞は、雨情自身の亡き娘のことでした。彼は、自分の愛娘のはかない命を、すぐ消えてしまうシャボン玉に例えたのです。
そして、雨情夫婦は、この歌によってわが子を亡くした悲しみを癒したのでした。
そう、唱歌として名高い「シャボン玉」とはグリーフケア・ソングだったのです!
その哀しくも透明な美しさを備えたセンチメンタリズムは、東京専門学校(現在の早稲田大学)で雨情の学友であった小川未明の「金の輪」や「赤いろうそくと人魚」などに代表される童話の世界にも通じます。その未明もまた、幼いわが子を失うという経験を持っていました。
つい最近、わたしは雨情のお孫さんである野口不二子さんが書かれた『郷愁と童心の詩人 野口雨情伝』(講談社)という本を読んだばかりです。その本で知ったのですが、東日本大震災で雨情の生家は甚大な被害に遭ったそうです。根本的に「グリーフケア」の要素を持っている雨情の童謡は、東日本大震災で傷ついた多くの人々の心を癒すことができるのではないでしょうか。わたしたち日本人にとって、野口雨情の存在はますます大きくなっていく気がします。
それから約半月後、わたしは鹿児島県の南九州市にある知覧を訪れました。
知覧といえば、特攻の基地があった場所として知られています。
わたしたちは、最初に「富屋食堂」を訪れました。ここには、「特攻の母」と呼ばれた故・鳥浜トメの生涯と特攻隊員とのふれあいの遺品・写真などが展示されています。隣接する「富屋旅館」は、戦後の昭和27年に特攻隊員の遺族を知覧に泊めるために作られました。
「鳥浜トメの物語」という公式サイトには、次のように書かれています。
「『富屋食堂』が開業したのは、昭和4年のことでした。 太平洋戦争末期、『富屋食堂』は帝国陸軍の指定食堂となります。 そのため、たくさんの特攻隊員が訪れるようになったのでした。 『富屋食堂』を切り盛りしていたトメは、そんな隊員さんたちを我が子のようにかわいがり、家財を投げ打ってもてなします。いつしか隊員さんたちは、トメのことを『おかあさん』と呼ぶようになりました。しかし、その関係が深かった分、トメは悲しい現実をたくさん目の当たりにすることになるのです。
戦後――御遺族や生き残られた方々が知覧を訪れたとき、身を寄せる所、泊まる所がないと困るだろうという気持ちから、隊員さんたちが当時訪れていた建物を戦後翌年買い取り、トメは旅館業を始めます。それが『富屋旅館』の始まりです」 富屋食堂のメニューは、うどん・そば・丼ものなどでした。夏場は、かき氷なども出し、繁盛したそうです。隊員たちは、みなトメの気さくな性格と食堂の家庭的な雰囲気に惹かれました。
昭和17年に最初の少年飛行兵10期生が到着したとき、トメは隊員たちを我がこのように面倒を看ました。まだ幼さの残る隊員たちも、トメのことを「お母さん」と呼ぶようになりました。だが戦況は悪化し、小さな知覧の町にも、いよいよ特攻という非情な作戦が遂行されるのでした。
富屋食堂を一躍有名にしたのは、「ホタル」の物語です。
食堂を愛用していた宮川三郎という軍曹が、「明日ホタルになって帰って来るよ」と言い残し出撃しました。すると、その夜、富屋食堂にいた人々(トメと娘たち、出撃前の隊員たち)の前に1匹のホタルが飛んできたのです。それを観た隊員たちは「宮川だ! 宮川がホタルになって帰ってきた!」と叫び、みんな涙を流しながら「同期の桜」を歌ったそうです。
野口雨情の「シャボン玉」も、冨屋食堂の「ホタル」の物語も、死者に想いを馳せ、その冥福を祈る供養の物語です。そして、のこされた者が深い悲しみを癒すグリーフケアの物語でもあります。
死者を忘れて、生者の幸福など絶対にありえません。
人間という存在は、死者によって生かされているのです。
そのことを痛感した北茨城と知覧の旅でした。
2013.7.15