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一条真也
「出雲大社〜神社は日本人の心の柱である」

 

こんにちは、一条真也です。
10月は「神無月(かみなしづき)」と呼ばれますが、出雲では逆に「神有月(かみありづき)」と呼ばれます。日本中の神様が出雲大社に集まるからです。
先日、わが社の社員旅行で、その出雲大社を訪れました。社員旅行で訪れるのは初めてですが、わたし自身は3回目の参拝となります。
昨年の10月にも社員旅行で、伊勢神宮を訪れています。言うまでもなく、伊勢神宮と出雲大社は日本を代表する二大神社です。 特に、今年は伊勢は20年に1度の式年遷宮、出雲は60年に1度の大遷宮ということで大きな注目を浴びています。この二大神社の遷宮が重なったのは、史上初だそうです。
出雲大社公式HPにある「平成の大遷宮」には、以下のように書かれています。
「出雲大社におまつりします大國主大神(おおくにぬしのおおかみ=だいこくさま)様は、『和譲』の御神徳で国づくりをなされた国土を御皇室の御祖先に奉還―国譲りなされて奇しき御神業を成し顕され"しあわせの平和"を導かれて、目には見えない神事(かみごと)の世界を治められる幽冥(神事)主宰大神(かくりごとしろしめすおおかみ)として、出雲大社にお鎮まりになり、生死ひとつながらに私どもをお守りいただいています。この御神業のことは、皇后陛下の『出雲大社に詣でて』と御題なされた『国譲り 祀られましし 大神の 奇しき御業を 偲びて止まず』との御歌の如く、永く"御皇室の祈り"となされておいでのことが拝されます。 御祭神の大國主大神様のお住まいの御本殿は古くより『天下無双の大廈(たいか)』と称えられますが、平成12年の境内の八足門(やつあしもん)前での巨大な御柱の顕現によって、語り継がれた往昔の高さ16丈の"天下無双"の御本殿が明らかとなりました。現在の国宝御本殿は、延享元年(1744)に御遷宮御造営され、以来、文化6年(1809)、明治14年(1881)、昭和28(1963)と3度にわたり御遷宮御修造がお仕え継がれてきました。
そして、このたび、『平成の御遷宮』をお仕え継ぎいたします。
平成20年4月20日には大國主大神様を仮のお住まいの御仮殿(現拝殿)にお遷し申し上げる『仮殿遷座祭』をお仕えいたし、御修造がととのいます平成25年5月にはもとの御本殿にお還りいただきます『本殿遷座祭』をお仕えいたします。また御修造は、御本殿のみならず、境内境外の摂社・末社等も、御本殿御修造に併行して、またその後の平成28年に至る間、お仕えさせていただきます」
出雲大社といえば、かつては巨大な建築物であったとされています。
10世紀から12世紀ごろまでの、出雲大社の本殿の全高は地上48メートルだったそうです。この高さは、ビルでいえば15階ぐらい。東大寺の大仏殿(当時の全高は46メートル)よりも高かったとされています。
実際、1999年(平成12年)の調査では、直径135センチの柱を3本、鉄の輪で組み合わせて1本の柱としていたことが確認されました。なお、ある文書によれば、高床から本殿までの階段の長さは109メートルとか。さらに古い伝説によると、地上97メートルに本殿があったというのです。その高さのせいか、出雲大社の本殿は少なくとも1036年、1061年、1141年に倒壊しています。すごい惨事だったでしょう。そのたびに建て替えられましたが、1228年以降、本殿の全高は現在の24メートルになりました。
出雲大社の正式名称は、「いずものおおやしろ」といいます。
祭神は、大国主神(大穴牟遅神)。縁結びの神としても有名で、大国主神が美女と結婚したことなどから、ご利益があるとされています。大国主神が国譲りを行った後、その世話をしたのは、天照大神の第2子・天穂日命でした。彼女の子孫は出雲国造の祖先となり、同時に大国主神の宮の祭祀を司ってきました。現在の宮司は、出雲国造の84代にあたります。日本のなかでもっとも古い家柄に数えられ、知事さえも頭を下げるという噂もあるほどです。
出雲大社といえば、須佐之男命や大国主神(大穴牟遅神)の神話で有名です。
須佐之男命の7代目にあたるのが大国主神です。八十神と呼ばれる多くの兄たちがいました。八十神に迫害され続けた大国主神は、死者の国(根の国)へ逃げて須佐之男命に出会い、さまざまな試練のすえに、須佐之男命の娘である須世理毘売命と、神宝である太刀や弓矢を得ます。 そして地上に戻り、須佐之男命の助言どおり太刀と弓矢で八十神を退治。出雲の国を治め、ほかの神と協力をしつつ出雲の国づくりを精力的に行いました。
その頃になって、天照大神が、建御雷神と経津主神を使者にして、国を譲るようにと申し入れてきました。大国主神は自分の息子の同意を条件に、国譲りを受けいれました。事代主神は同意しましたが、もうひとりの息子の建御名方神は反抗し、建御雷神に勝負を挑みました。しかし、あえなく敗れ、諏訪の地まで逃げた後で捕えられたのでした。これが、諏訪大社の祭神となっています。
こうして、「出雲の国譲り」は行われましたが、その条件として大国主神が出したのが、天照大神と同じぐらい立派な神殿を作ることで、それが出雲大社です。
大国主神はその後、この大神殿にこもって静かに暮らしたと伝えられています。
このような神話に触れると、なんだかホッとしますね。
人間には神話と儀礼が不可欠であると、つくづく実感します。
さて、わたしは疲れたときなど、よく神社に行きます。
何よりもまず、神社は木々に囲まれた緑の空間です。
ゆたかな緑の中にいると、いつの間にか元気になります。
また、神社はさまざまな願いをかなえてくれる場所でもありますね。
わたしは、しばしば志を短歌に詠み、神社に奉納します。
不思議とその後は物事が順調に進み、願いがかなうような気がしています。
八百万の神々をいただく多神教としての神道の良さは、根本的に開かれていて寛容なところです。
まったく神社ほど平和な場所はありません。
伊勢神宮や出雲大社には「心御柱」があります。
わたしは、すべての神社は日本人の心の柱であると思います。
2013.10.15