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一条真也
「卒業式は笑顔で『さよなら』を」

 

 3月は卒業式のシーズンである。
 つねづね思うのだが、すべての通過儀礼の本質とは卒業式ではないだろうか。七五三は乳児や幼児からの卒業式であり、成人式は子どもからの卒業式。通過儀礼の「通過」とは「卒業」のことなのである。
 結婚式も同様だ。結婚披露宴で一番感動を呼び、参列者の間に共感を生むもの、それは花嫁による両親への感謝の手紙である。そこには、今まで育ててくれた両親への感謝の言葉とともに、家族から巣立ってゆくことの寂しさ、そして夫となる人とともに新しい家族を築いていくことへの希望と決意が述べられている。
 なぜ、昔から花嫁の父親は結婚式で涙を流すのか。それは、結婚式の本質が卒業式であり、家庭という学校から卒業してゆく娘を校長として愛しく思うからにほかならない。
 そして、葬儀は人生の卒業式だ。このことを、わたしは多くの著書で繰り返し強調してきた。
 日本人は人が亡くなると「不幸があった」などと言うが、この世に死なない人間はいない。必ず訪れる「死」が不幸であるなら、どんなに素晴らしい生き方をしようが、あらゆる人生そのものも不幸でしかないことになる。これでは必ず"負け役"を演じると決められた八百長のようなもので、そんな馬鹿な話はない。
 卒業式でもっとも多く使われる言葉、それは「さようなら」ではないだろうか。「さよなら三角、また来て四角」で始まる言葉遊び歌があるが、あんな軽やかな感じで別れの挨拶をするのも良いかもしれない。あの歌は日本全国で歌われていたが、さまざまなバージョンがあるようだ。
 わたしが子どもの頃、「さよなら三角、また来て四角、四角は豆腐、豆腐は白い、白いはウサギ、ウサギははねる、はねるはカエル、カエルは青い、青いはバナナ、バナナはすべる、すべるは氷、氷は光る、光るは親父のハゲ頭」と歌っていた。こんな感じで、わたしも明るく笑いながら人生を卒業したいものだ。