第19回
一条真也
「死を乗り越える言葉を持つ」

 

 新型コロナウイルスの感染拡大もピークを過ぎたようです。もちろん油断は禁物ですが。

 海外の国々に比べて、日本は新型コロナによる死者の数が少ないなどと言われていますが、それでも猛烈な勢いで感染拡大している間は、誰もが「自分も感染するのではないか」と心配し、高齢者の方々は「感染すれば、新型肺炎で命を失うのではないか」と思われたことでしょう。

 現代日本は超高齢社会ですが、それはそのまま「多死社会」でもあります。その「多死社会」という言葉を、今回のコロナ禍では、多くの日本人が具体的なイメージで意識したと言えるでしょう。

 新型コロナウイルスの感染拡大はまだ終息してはいません。このウイルスは消滅することはなく、人類は新型コロナと共生しなければならないという意見もあります。ならば、日本人が「死」を意識する時代はこれからも続いていくということになります。

 そんな中、わたしは、『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)という本を上梓しました。サブタイトルは「言葉は人生を変えうる力をもっている」です。

 日々、紫雲閣で行われる多くの方々のお葬儀のお手伝いをさせていただく中で、痛感しているのが、言葉の力です。この本には、小説や映画に登場する言葉も含め、古今東西の聖人、哲人、賢人、偉人、英雄たちの言葉、さらにはネイティブ・アメリカンたちによって語り継がれてきた言葉まで、100の「死を乗り越える」名言を紹介しています。

 長い人類の歴史の中で、死ななかった人間はいませんし、愛する人を亡くした人間も無数にいます。グリーフケアという営みの目的には「死別の悲嘆」を軽減することと「死の不安」を克服することの両方があります。

 物心ついたときから、わたしは人間の「幸福」というものに強い関心がありました。学生のときには、いわゆる幸福論のたぐいを読みあさりました。そして、こう考えました。政治、経済、法律、道徳、哲学、芸術、宗教、教育、医学、自然科学・・・・・・人類が生み、育んできた営みはたくさんある。

 では、そういった偉大な営みが何のために存在するのかというと、その目的は「人間を幸福にするため」という一点に集約される。さらには、その人間の幸福について考え抜いた結果、その根底には「死」というものが厳然として在ることを思い知りました。

 そんなわたしが、どうしても気になったことがありました。それは、日本では、人が亡くなったときに「不幸があった」と人々が言うことでした。わたしたちは、みな、必ず死にます。死なない人間はいません。いわば、わたしたちは「死」を未来として生きているわけです。その未来が「不幸」であるということは、必ず敗北が待っている負け戦に出ていくようなものではないかと思えたのです。

 わたしたちの人生とは、最初から負け戦なのでしょうか。どんなすばらしい生き方をしても、どんなに幸福を感じながら生きても、最後には不幸になるのか。亡くなった人はすべて「負け組」で、生き残った人たちは「勝ち組」なのか。そんな馬鹿な話はありません。わたしは、「死」を「不幸」とは絶対に呼びたくありません。なぜなら、そう呼んだ瞬間に将来必ず不幸になるからです。死はけっして不幸な出来事ではありません。

「死」は、わたしたち人間にとって最重要テーマであると言えるでしょう。わたしたちは、どこから来て、どこに行くのか。そして、この世で、わたしたちは何をなし、どう生きるべきなのか。これ以上に大切な問いなど、この世には存在しません。

 なぜ、自分の愛する者が突如としてこの世界から消えるのか、そしてこの自分さえ消えなければならないのか。これほど不条理で受け容れがたい話はありません。

「死」についての古今東西の名言を知ることによって、おだやかな「死ぬ覚悟」を自然に身につけることができればいいですね。それとともに、「生きる希望」を持つことができるなら、こんなに素晴らしいことはありません。死生観は幸福につながります。

 みなさんも、ぜひ自分なりの「死」についての言葉を持たれて下さい。