仁のマネジメント
一条真也
「愛と思いやりこそ、すべての基本である」

 

 現代は高度情報社会です。
 世界最高の経営学者であった故ピーター・ドラッカーは、早くから社会の「情報化」を唱え、後のIT革命を予言していました。ITとはインフォメーション・テクノロジーの略ですが、ITで重要なのはI(情報)であってT(技術)ではありません。ドラッカーは、IT革命の本当の主役はまだ現れていないと言いました。
 本当の主役、本当の情報とはなにか。情報の「情」とは、心の働きに他なりません。本来の情報とは、心の動きを相手に報せることなのです。そして、その「心の動き」を代表するものこそ「思いやり」であると私は思います。
 「思いやり」こそは、人間として生きるうえで一番大切なものだと多くの人が語っています。仏教の「慈悲」やキリスト教の「愛」、ギリシャ哲学の「アガペ」まで含め、人類を幸福にするための思想における最大公約数は、おそらく「思いやり」という一語に集約されるのではないでしょうか。
 そして、儒教において、それは「仁」と表現されました。よく知られているように、仁は儒教における最高の徳目です。孔子や孟子は、リーダーにとって最も重要なものは仁であると繰り返し強調しました。「仁とは何か」という弟子の質問に対して、孔子は「人を愛することだ」と答えています。孔子が唱えた仁の重要な側面として、愛、あるいは真心からの思いやりと表現できるものがあり、これは愛の仁=仁愛などと呼ばれています。
 一方で、自己の私心を克服して礼に立ち戻ることが仁だ、とも孔子は説きます。厳しく自己規制し、規範を守ることも仁だというのです。勇気を持つことや一身を犠牲にしてでも物事の成就を求めるのは、自己を規制して規範を守る仁であり、これは徳の仁=仁徳などと呼ばれています。つまり、孔子の唱えた仁の思想とは、主に「仁愛」と「仁徳」であったのです。
 とどまるところ、儒教とは「仁の道」「仁の教」であると言うことができます。仁は天地の、自然の生成化育の人間に現れた徳のことなのです。
 慈悲や愛にも通じる仁は、優しく、母のような徳であると言えます。高潔な義と、厳格な正義を、特に男性的であるとするならば、慈愛は女性的な性質である優しさと諭す力を備えていると言えるでしょう。
 リーダーというものは、仁を重んじながらも、公正さと義で物事を計ることも大切であり、むやみに慈愛に心を奪われてしまってはならないのです。