志のマネジメント
一条真也
「無私の強い想いが共感を呼ぶ」

 

 志に生きる者を志士と呼びます。吉田松陰は、人生において最も大切なのは志を立てることだと門下生たちに言い、志や志士ついてこう説きました。
 「志というものは、国家国民のことを憂いて、一点の私心もないものである。その志に誤りがないことを自ら確信すれば、天地、祖先に対して少しもおそれることはない」
 「志士とは、高い理想を持ち、いかなる場面に出遭おうとも、その節操を変えない人物をいう。節操を守る人物は、いつ死んでもよいとの覚悟もできているものである」
 最近の経営書にも志の重要性に言及したものが増え、志の条件についてもさまざまに示唆しています。例えば、「長期の視野に立つこと」「社会に貢献すること」「幼少の頃の夢を思い起こすこと」などなど。ただ、どれも志の核心をついているとはいえず、多くが「夢」と「志」を混同しています。
 志とは何よりも「無私」でなくてはならない、と私は強調したい。 「自分が幸せになりたい」というのは夢であり、「世の多くの人々を幸せにしたい」というのが志です。この違いは重要です。夢は私、志は公に通じるのです。
 企業もしかり。もっと売上げを伸ばしたいというのは、私的利益に向いた夢にすぎず、そこに公的利益はありません。真の志は、あくまで世のため人のために立てるものなのです。
 かつてダイエーとセゾンという企業集団が経済界を席巻しました。現在ではともにバブルの象徴とされていますが、私は両社のすべてが間違っていたとは思いません。流通革命を推進した故・中内功氏。経済と文化の融合を追求した堤清二氏。彼らの心の中には「日本人を豊かにする」という強い想い=志がたしかにあったと思うからです。
 私にも経営者としての志があります。冠婚葬祭業を営む者として、上昇一途の日本人の離婚件数と自殺者数を減らしたいと願い、具体的なプロジェクトを推進しています。
 また、人の死が「不幸があった」などと表現されぬよう、夜空に浮かぶ月をあの世に見立て、死を詩に変えるという志を立てています。
 中国に「風吹月不動」という言葉があります。強風に雲は飛ばされても月は動じない。ただ天体としての運行を淡々と行なっているのみであるという意味です。私の志、心のベクトルもまさに月に向かっています。どんなに強風に吹かれても動じない月のように、「風吹月不動」の精神でわが志を果たしたいと思っています。