忠のマネジメント
一条真也
「あらゆる人に真心で接し、誠を尽くす」

 

 「忠」とは、その字が「心」と「中」から成るように、心の中心、つまり真心や誠意のことです。
 江戸時代の忠とは、自分の仕えている殿様に対して真心を尽くすことでした。「忠臣蔵」の人気はいまだに衰えませんが、しかしその行為は結局、自分のボスの復讐のために徒党を組んで人を殺した、と現在の常識では言わねばなりません。
 この忠が、明治維新以後、国や国家、天皇に対する忠となり、現在、忠義や忠節という徳は、市民として忠良であるとか、自分の属する団体に対して忠実であるというふうに使われるようになってきました。これを見ると、忠という徳目が、ここ百年ほどの間にどれだけ改革されてきたかがわかる、と倫理学者の今道友信氏は著書『エコエティカ』で述べています。
 『論語』のなかの徳目である忠は、孔子の時代には、すべての人に誠を尽くしているかどうかを反省しようという、非常にヒューマンな考えでした。忠の本来の意味とは、他人に対して、それが目上であろうと目下であろうと、あるいは異民族の者であろうと、真心から接する態度であり、人に対する誠実さ、対人的なシンセリティの自覚だったのです。
 再びこの忠の原義を取り返さなければならない時代を迎えています。すべての人に対して真心を尽くしているか、という誠実の内的基準、そういう問題として、私たちは忠を考えなければならないのです。
 日本語あるいは漢字の忠は、英語ではロイヤリティ(loyalty)に相当します。ブランド・ロイヤリティなどの言葉がマネジメントやマーケティングの世界で使われることがありますが、しかし、企業やブランドなどの人間でないものに「忠」を言ってよいのかどうかは考える必要があるでしょう。 マネジメントにおける忠とは、何よりもまず顧客、つまりお客様に対する忠です。経営学者ピーター・ドラッカーの言うように、「顧客の創造」というものが非常に重要ですが、その創造された顧客に対して徹底的に誠を尽くすこと。それは、とりもなおさず、顧客の期待どおりの、あるいは期待を上回る商品やサービスを提供することです。つまり真のブランド・ロイヤリティとは、顧客がブランドに対して忠なのではなく、ブランドを創造する人々が顧客に対して忠であることではないでしょうか。
 忠とは結局、人間と人間の問題なのです。