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一条真也
太陽と死

 

かつて、箴言家で知られたラ・ロシュフーコーは「太陽と死は直視できない」と語った。たしかに、太陽と死は不可視性という点で共通している。それゆえに両者とも人間にとって畏怖すべき聖なる対象だ▼私はもう一つの共通点があると思う。平等性である。「死は最大の平等である」と私は信じる。生は平等ではない。恵まれた生もあれば、苛酷な生もある。生は不平等に満ちており、これに異論のある人はいないだろう。しかし、大富豪、庶民、ホームレスのいかんを問わず、死は誰にも平等に訪れるのだ▼死は人間の尊厳に関わっている。もともと十万年前、ネアンデルタール人の埋葬によってサルがヒトになったといわれるように、弔うことによって人間として生きた証が残される。阪神淡路大震災や米国同時多発テロの後の瓦礫の中の遺体にも心が痛んだが、拉致被害者の墓が洪水で流れたという荒唐無稽な話には怒りを覚える▼太陽も平等である。日本の先哲・中村天風の言葉を借りれば、「太陽の光線は、美人の顔も照らせば、犬の糞も照らしている」のだ。「お天道様」というように、太陽は不滅の真理の象徴でもある。不平等に満ちた暗闇にこそ、太陽の光が必要だ。陽はまた昇る。
2002年12月10日