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一条真也
被災地にて

 

先日、三陸海岸の被災地跡を回ってきた。本当は5月に訪れるはずだったのだが、足を骨折したために大幅に遅れてしまったのである。悶々とした時間が流れて、ようやく怪我が癒えた。早速、東北へ向かった▼津波による大量死の光景は、まるで『古事記』に描かれた「黄泉の国」がこの世に現出したようだった。また仏教でいう「末法」やキリスト教でいう「終末」のイメージそのものでもあった▼津波のあった海をながめ、「願はくば海に眠れる御霊らよ神の心で子孫をまもれ」という鎮魂の歌を詠んだ。亡くなった方々が祖霊という神となって愛する子孫を守ることを心から願った▼気仙沼から南三陸を経て、石巻へ。土葬が行われた公営地に向かった。2年後の三回忌を目安に掘り起こして火葬にするとされていた。しかし、火葬場などの復旧を受け、多くの遺体はすでに火葬されたという▼そこには、「遺骨を手元に置いておきたい」「先祖と同じ墓に入れてあげたい」「変わり果てた姿をそのままにして土葬しておくのはしのびない」など、さまざまな考えがあった▼しかし、「人並みに火葬にしてあげたい」という遺族の強い想いは共通していた。津波は「葬式は、要らない」といった妄言も流し去ったようだ(一条)
2011.10.10