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一条真也
島田裕巳氏との対話

 

 このたび、宗教学者の島田裕巳氏との共著『葬式に迷う日本人』(三五館)を出版した。
 サブタイトルは「最期の儀式を考えるヒント」で、帯には「最初で最後の直接対決!」というコピーが躍っている。お互いに二信ずつ書簡を交わした後、最後に対談した。
 葬式無用論者の島田氏は「0葬」というものを唱えている。通夜も告別式も行わずに遺体を火葬場に直行させて焼却する「直葬」をさらに進めた形で、遺体を完全に焼いた後、遺灰を持ち帰らずに捨ててくるのが「0葬」である。
 わたしは、葬儀という営みは人類にとって必要なものであると信じる。故人の魂を送ることはもちろんだが、葬儀は残された人々の魂にも生きるエネルギーを与えてくれる。
 もし葬儀が行われなければ、配偶者や子ども、家族の死によって遺族の心には大きな穴が開き、おそらくは自死の連鎖が起きることだろう。
 葬儀という営みをやめれば、人が人でなくなる。葬儀という「かたち」は人間の「こころ」を守り、人類の滅亡を防ぐ知恵なのである。
 しかしながら、葬儀は時代に合わせて変わっていくべきだとわたしは考えている。実際、長い歴史の中で葬儀は大きく変わってきた。
 「マネジメントの父」と呼ばれたドラッカーは、企業が繁栄するための条件として、「継続」と「革新」の二つが必要だと述べた。これは、企業だけでなく、業界や文化にも当てはまることである。
 良いものはきちんと継続してゆく。時代の変化に合わせて変えるべきところは革新する。葬儀という文化にも、「継続」と「革新」が欠かせない。
 葬儀についての考え方が正反対の島田氏と激論を交わしたが、対話を終え、「葬儀は人類の存在基盤」という自説が間違っていないと再認識した。ぜひご一読を!
2016.10.20