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一条真也
不滅の業界

 

 「人間は儀式的動物である」という哲学者ウィトゲンシュタインの言葉に導かれ、このたび、『儀式論』(弘文堂)を上梓した。とにかく、結婚式にしろ、葬儀にしろ、儀式の意味というものが軽くなっていく現代日本において、かなりの悲壮感をもって書いた。
 全互協の齋藤斎会長が経営するベルコさんをはじめ、多くの互助会各社にご購入いただき、心より感謝申し上げる。
 わたしは、人間は神話と儀式を必要としていると考える。
 社会と人生が合理性のみになったら、人間の心は悲鳴を上げてしまうだろう。
 結婚式も葬儀も、人類の普遍的文化だ。多くの人間が経験する結婚という慶事には結婚式、すべての人間に訪れる死亡という弔事には葬儀という儀式で、喜怒哀楽の感情を周囲の人々と分かち合う。
 このような習慣は、人種・民族・宗教を超え、太古から現在に至るまで行われてきた。儀式とは人類の行為の中で最古のものである。ネアンデルタール人も、現生人類(ホモ・サピエンス)も埋葬をはじめとした葬送儀礼を行っていた。
 人類最古の営みといえば、他にもある。石器を作るとか、洞窟に壁画を描くとか、雨乞いの祈りをするとか。しかし現在、そんなことをしている民族はいない。儀式だけが現在も続けられているのだ。最古にして現在進行形ということは、儀式という営みには普遍性があるのではないか。ならば、人類は未来永劫にわたって儀式を続けるはずである。
 さらに、わたしは儀式を行うことは人類の本能ではないかと考える。ネアンデルタール人の骨からは、葬儀の風習とともに身体障害者をサポートした形跡が見られる。
 儀式を行うことと相互扶助は、人間の本能なのである。この本能がなければ、人類はとうの昔に滅亡していたはず。互助会は不滅だ。
2016.12.20