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一条真也
お祝いの意味
 おかげさまで、わが社の冠婚施設の新館がオープンした。その後、互助会関係者や地元の方々をお招きし、創立50周年記念祝賀会を連日行った。わが社はすっかり「お祝い」ムードに包まれた。
 じつは、わたしは「祝う」という営み、特に他人の慶事を祝うということが人類にとって非常に重要なものであると考えている。
 なぜなら、祝いの心とは、他人の「喜び」に共感することだからだ。それは、他人の「苦しみ」に対して共感するボランティアと対極に位置するが、両者とも他人の心に共感するという点では同じ。
 「他人の不幸は蜜の味」などと言われる。たしかに、そういった部分が人間の心に潜んでいることは否定できないが、だからといって居直ってそれを露骨に表現しはじめたら、人間として終わりだろう。社会も成立しなくなる。
 そのように考えてみると、他人を祝う心とは、最高にポジティブな心の働きであると言えるのではないだろうか。
 「祝い」という行為には、ものすごい力がある。「祝」に似た字に「呪」があるが、どちらも「兄」がつく。漢字学の第一人者であった白川静によれば、「呪」も「祝」も神職者に関わる字であり、「まじない」の意味を持つ。
 「呪い」も「祝い」ももともと言葉が「告る」つまり「言葉を使う」という意味だとされる。心の負のエネルギーが「呪い」に通じ、心の正のエネルギーが「祝い」に通じるということのようである。
 ネガティブな「呪い」を解く最高の方法とは、冠婚葬祭に代表されるポジティブな「祝い」を行うことなのだ。
 わが社が運営する冠婚施設では、結婚式や披露宴はもちろん、七五三、成人式、長寿祝いなどが行われている。これからも、祝いの舞台であり続けたいと願う。
2017.10.20