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一条真也
「大学で何を学ぶか」
 大学の合格発表の季節である。
 本誌も合格発表特集号が1年で最もよく売れるそうだ。合格した本人はもちろん嬉しいだろうが、親御さんの喜びも大きいに違いない。
 他人事ではない。わたしの次女も、おかげさまで第1志望の東京の私大に合格し、この春から大学生となる。
  わたし自身も、次女の大学とは違う東京の私大の客員教授に就任することになっている。改めて、「大学とは何か」と考える機会が多い。
 大学とは、もちろん学ぶ場所である。では、何を学ぶのか。よく言われるのが「リベラルアーツ」である。わたしは、これまで北陸大や九州国際大の客員教授として、約10年間、リベラルアーツを教えてきた。
 リベラルアーツとはヨーロッパ中世にできた自由七科(文法学、修辞学、論理学、算術、幾何、天文学、音楽)を指す。しかし、哲学者の内田樹氏は、孔子の「六芸」(礼、楽、射、御、書、数)のほうが日本人にとってはリベラルアーツの本旨に近いと、能楽師の安田登氏との対談本『変調「日本の古典」講義』で述べている。
 古代中国で士以上の者が修めるべき六つの教科が六芸である。現在の学校教育では、もっぱら書と数(読み書き算盤)ばかりが重視され、最初の四科は主要教科とされていない。
 内田氏によれば、六芸とは「意を通じ難い他者といかにしてコミュニケーションを成り立たせるか」に尽きるという。他者は完全に厄介払いすることもできないし、完全に受容することもできない。それとどう折り合いをつけるかという実践的な技術が孔子のいう「六芸」なのだ。
 そして、他者には死者も含まれる。他者のほとんどは死者だとも言えるわけで、死者たちと関わる方法こそがリベラルアーツの本質なのである。
 六芸は「礼」から始まる。礼こそ、死者と関わり、他者と関わる技術だ。日本の大学教育における「理系」偏重と「文系」軽視の傾向は相変わらずだが、学部を問わず、大学生にはぜひ「礼」を学んでほしい。