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一条真也
令和の時代を迎えて
 5月1日から「令和」の時代が始まった。これから大きく社会の様子が変化していくと思われるが、そんな時代だからこそ守っていかなければならないものがある。それこそ、元号に代表される古代からの伝統であり、冠婚葬祭互助会が業とする儀式である。
 今回の改元が行われる曲折の中で、情報システム上の問題から、企業の元号離れが進んだと言われている。国際化などが進展する現代において、基準となる西暦以外の紀年法は必要ないのではないかという意見も聞こえた。
 もちろん、元号不要論の中には、単に西暦と併記することが億劫だからという理由もあるのだろうが、果たしてそんな理由でこれまでの伝統をなくしてしまって良いのか。わたしの答えは「否」である。
 元号であれば、「大化」以降約1400年あまりにわたって受け継がれてきた伝統であり、今回の「令和」に至るまで、「平成」を含めて約250を経ている。これはルーツとなった中国においてもすでに喪われてしまっており、現在は日本固有の文化なのである。
 それは儀式においても、まったく同様である。そもそも、現代のわたしたちが「改元」や「儀式」を体験できることは、過去のご先祖様たちがわたしたちへ、この文化を繫いできてくれたからである。
 それをリレーの中継者に過ぎないわたしたちが勝手に途切れさせてしまうことは許されず、また、「おこがましい」としか表現のしようがない。
 世の中には意味のない、ムダな作法としての「虚礼」が存在することも事実である。このようなものは淘汰されてしかるべきだが、不易と流行の間にある線引きをどこに置くかについて、新時代を迎えた今、わたしたちは慎重の上にも慎重に考えを巡らせなければならない。互助会の使命はきわめて大きい。